概要
1981年、大統領選挙に勝ったミッテランは、世論の6割ほどが死刑の存続を望んでいると知りながら、死刑の廃止を約束していた。法務大臣に選ばれた弁護士ロベール・バダンテールは、9月の国民議会で、死刑は犯罪を減らさず、裁きの誤りを取り返せないと説いた。法案は議会と元老院を通り、10月9日に公布された。ギロチンによる最後の処刑は、1977年だった。フランス革命の時代から二百年近く使われた断頭台は、ここで止まった。ヨーロッパではこのあと、死刑の廃止が欧州評議会とヨーロッパ連合に加わる条件になっていく。
場所
48.86°N 2.35°E · フランス
本文
18世紀、ベッカリーア『犯罪と刑罰』は、死刑は国家による殺人であり、犯罪を防ぐ役にも立たないと説いた。フランス革命の時代、議会では死刑を廃止する案も出されたが、結局、医師ギヨタンが提案した断頭台が、苦しみの少ない平等な処刑の道具として採用された。恐怖政治では、この機械が何千人もの首を落とした。
19世紀から20世紀にかけて、文豪ヴィクトル・ユーゴーをはじめ、死刑の廃止を訴える人は絶えなかった。だが、ヨーロッパの多くの国が死刑をやめていくなかでも、フランスでは世論の多数が死刑を支持し続けた。処刑は1939年まで公開で行われ、その後も刑務所の中庭でギロチンが使われた。
ロベール・バダンテールは、パリの弁護士だった。1972年、彼が弁護した男は、殺人に加わったが手を下してはいなかったのに、ギロチンで処刑された。この経験から、彼は死刑の廃止に生涯を捧げることを決める。1977年には、子どもを誘拐して殺した男の弁護で、死刑の是非そのものを陪審に問い、死刑を免れさせた。世論が最も怒っていた事件だった。
1981年の大統領選挙で、社会党のフランソワ・ミッテランは、世論調査では6割ほどが死刑の存続を望んでいると知りながら、死刑の廃止を公約に掲げて勝った。法務大臣になったバダンテールは、9月17日、国民議会で演説し、死刑は犯罪を減らさないこと、裁判は誤りうるのに死刑は取り返しがつかないこと、死刑を残す国の多くが独裁の国であることを説いた。法案は国民議会と元老院を通り、10月9日に公布された。フランスの最後の死刑は、1977年9月、マルセイユでのギロチンによる処刑だった。
フランスは西ヨーロッパで死刑を廃止した最後の国の一つだった。1983年、欧州人権条約に平時の死刑の廃止を定める議定書が加えられ、死刑の廃止は、欧州評議会やヨーロッパ連合に加わる国の条件になっていった。2007年、フランスは死刑の禁止を憲法に書き込んだ。