ビン・ラディンの殺害
概要
パキスタンの陸軍士官学校の近くの屋敷に、アメリカの特殊部隊がヘリで降り、40分で終わった。遺体は海に沈められた。テロから10年。ホワイトハウスで大統領たちが中継を見ている写真が残った。
場所
34.17°N 73.24°E · パキスタン
本文
2001年の9・11同時多発テロのあと、アメリカは首謀者のウサーマ・ビン・ラーディンを追ってアフガニスタンに攻め込んだ(アフガニスタン戦争)。だが2001年12月、トラボラの山中で包囲をすり抜けて以来、ビン・ラディンの足取りは途絶えた。山岳地帯の洞窟に潜んでいるというのが、長く大方の見方だった。
手がかりは、一人の連絡係だった。グアンタナモ基地などで拘束された者たちへの尋問から、ビン・ラディンの信頼が厚い伝令がいることが分かり、アブー・アフマド・アル・クウェイティという呼び名が浮かんだ。中央情報局(CIA)は何年もかけてその本名と行方を割り出し、2010年8月、彼の車を追って、パキスタン北部の町アボッターバードの一軒の屋敷にたどり着いた。

屋敷は首都イスラマバードから車で1時間ほど、パキスタン陸軍の士官学校から1キロあまりの住宅地にあった。2005年ごろに建てられた3階建てで、周りを高い塀と有刺鉄線が囲んでいた。周囲の家よりはるかに大きいのに、電話もインターネットも引かれていない。ごみは外に出さず、敷地の中で燃やしていた。3階のバルコニーには、外から見えないよう高い目隠しの壁があった。偵察の写真には、中庭を行ったり来たりする背の高い男が写っていたが、顔は一度も見えなかった。情報機関はこの男を「歩き回る男」と呼んだ。
その男がビン・ラディンだという確証は、最後まで得られなかった。分析官たちの見積もりは、確率にして4割から9割まで割れた。爆撃で屋敷ごと消す案、特殊部隊を送り込む案が検討された。爆撃では、本人を殺したかどうか確かめられない。2011年4月29日、オバマ大統領は特殊部隊による急襲を承認した。パキスタン政府には知らせないことにした。情報が漏れることを恐れたのである。

5月2日の未明、現地時間で午前1時ごろ、アフガニスタンのジャララバードから飛び立ったヘリコプターが、国境を越えてアボッターバードの屋敷に降りた。レーダーに映りにくいよう改造されたブラックホーク2機に、海軍の特殊部隊の隊員20人あまりと通訳、軍用犬が乗っていた。作戦名は「ネプチューン・スピア」。予備の大型ヘリも控えていた。
計画は最初からつまずいた。1機が中庭の上で空気の流れに巻き込まれて揚力を失い、塀の内側に落ちた。けが人は出なかった。隊員たちは塀や扉を爆破して建物に入り、1階で連絡係のクウェイティを、別棟と2階でその兄弟と兄弟の妻、ビン・ラディンの息子ハーリドを撃った。3階の寝室にビン・ラディンがいた。隊員たちは彼を撃ち、無線で「ジェロニモ、敵は戦闘中に死亡」と伝えた。そばにいた妻の一人が脚を撃たれて負傷した。ビン・ラディン自身は武器を手にしていなかったとされる。誰が致命傷を与えたのかについては、のちに隊員の証言が食い違い、論争になった。

作戦は約40分で終わった。隊員たちはコンピュータやハードディスク、メモ帳など大量の資料を持ち出し、落ちたヘリの機密を守るため爆破して引き上げた。パキスタン軍が異変に気づいて動き出したとき、部隊はすでに国境へ向かっていた。
ワシントンのホワイトハウスの地下の作戦室では、オバマ大統領、バイデン副大統領、クリントン国務長官、ゲーツ国防長官らが、無人機からの映像を見つめていた。専属の写真家が撮った一枚には、狭い部屋に詰めかけた人々の張りつめた顔が写り、口元に手を当てるクリントンの姿が世界に広まった。現地の朝を迎える前、ワシントンでは5月1日の夜11時35分、オバマはテレビで、正義が果たされたと演説した。ホワイトハウスの前とニューヨークの世界貿易センターの跡地には、夜中に人々が集まり、歓声を上げた。

遺体はアフガニスタンに運ばれ、DNAの鑑定で本人と確かめられた。そこから北アラビア海の空母カール・ヴィンソンへ移され、イスラームの作法に沿って洗い清め、白い布で包んで、死から24時間のうちに海に沈められた。陸に墓を作れば、そこが信奉者の聖地になると恐れたためである。遺体の写真は公開されなかった。
パキスタンでは、二つの問いが残った。国の中枢の軍の町に、世界で最も追われた男が何年も暮らしていたのを、軍と情報機関は本当に知らなかったのか。そしてアメリカは、なぜ同盟国に断りなく国境を越えたのか。パキスタン政府の調査委員会は2013年、あらゆる段階での無能と怠慢を指摘する報告書をまとめたが、公表はされず、外国の報道機関に漏れて知られた。両国の関係は冷え込んだまま戻らなかった。

作戦の陰で、CIAは本人の家族のDNAを得ようと、地元の医師を使って偽の予防接種の活動を行っていた。このことが明るみに出ると、パキスタンの一部では予防接種そのものへの不信が広がり、ポリオのワクチンを配る人々が襲われる事件も起きた。
屋敷は2012年に取り壊され、跡地は空き地になった。アルカイダはその後もアイマン・ザワーヒリーのもとで存続したが、ザワーヒリーも2022年、アメリカの無人機の攻撃で殺された。アメリカ軍はその前年、アフガニスタンから撤退している(タリバンの復権)。