『女性の権利の擁護』

概要
人権宣言が男性のものだった3年後に書かれた。女性が劣って見えるのは、劣った教育しか与えられていないからだ、と論じた。
場所
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド
関わった人(1)
メアリ・ウルストンクラフトAD1759年4月27日–AD1797年9月10日 · 著者本文
1789年、フランスの国民議会は人権宣言を出した。人は生まれながらに自由で、権利において平等である。ところが、そこで言う「人」が誰のことなのかは、すぐに問題になった。1791年、フランスの政治家タレーランは、国の公教育についての報告を議会に出した。少年には国が学校を用意する。少女には家庭で、家の務めのための教育を与えればよい。権利の宣言から2年、女性は公の教育の外に置かれようとしていた。
ロンドンでこの報告を読んだのが、32歳のメアリ・ウルストンクラフトだった。1759年に生まれ、酒に溺れて家族に暴力をふるう父のもとで育った。正規の教育はほとんど受けていない。若いころから自分で生計を立てなければならず、女性に開かれていたわずかな仕事、付き添いの話し相手、女学校の経営、貴族の家の家庭教師を、次々に経験した。最初の本は、娘の教育についての小冊子だった。

やがて急進派の出版人ジョゼフ・ジョンソンに認められ、ロンドンで書評や翻訳の仕事を得て、筆一本で暮らす数少ない女性の一人になった。ジョンソンの周りには、トマス・ペインや詩人ブレイク、哲学者ゴドウィンといった人びとが集まっていた。1790年、保守派の政治家バークがフランス革命を激しく批判する本を出すと、ウルストンクラフトはいち早く反論を書いて『人間の権利の擁護』として出版し、名を知られるようになる。
1792年1月に出た『女性の権利の擁護』は、6週間ほどで書き上げられたという。献辞はタレーランに宛てられ、女性の教育についての考えを改めるよう求めている。

主張の核は単純だった。女性が感情的で、浅はかで、着飾ることばかり考えているように見えるなら、それは生まれつきではない。そう育てられたからだ。少女は幼いころから、理性を鍛える代わりに、男を喜ばせることを教えられる。美しく、か弱く、従順であれと言われ続ける。そうして作られた姿を見て女性は劣っていると言うのは、原因と結果を取り違えている。理性は男女に等しく与えられている。同じ教育を与えれば、女性も理性ある人間として振る舞える。
標的の一人は、ルソーだった。ルソーは教育論『エミール』で、理想の少年エミールの妻となる少女ソフィーを、男に気に入られ、男の役に立つように育てるべきだと書いた。ウルストンクラフトはこれを正面から批判した。女性の美徳が男を喜ばせることにあるなら、女性は自分の魂を持たないことになる、と。

彼女は具体的な提案もした。国が男女の区別なく子どもを通わせる学校を作り、男の子と女の子を同じ教室で学ばせる。女性も医者や商人になれるようにし、自分で生計を立てられるようにする。女性も政治に代表を持つべきだと、控えめながら書き添えている。結婚は、従属ではなく、理性ある者どうしの友情であるべきだとした。そして、私は女性が男性を支配することではなく、自分自身を支配することを望む、と書いた。
同時代の反応は、思われているほど冷たくはなかった。出版直後の書評は好意的なものが多く、版を重ね、フランス語やドイツ語にも訳された。だがフランス革命が恐怖政治(恐怖政治)へと進み、イギリスで革命への反感が強まると、急進的な思想の持ち主への風当たりは強くなる。作家ホレス・ウォルポールは彼女を「ペチコートをはいたハイエナ」と罵った。

彼女自身は1792年の暮れ、革命のさなかのパリへ渡った。そこでアメリカ人の男性と恋に落ちて娘を産むが、捨てられ、二度にわたって自ら命を絶とうとしている。一度はロンドンのテムズ川に身を投げた。立ち直った彼女は、旧知のゴドウィンと愛し合い、1797年に結婚した。その年の8月に娘を産み、10日ほど後に産褥の熱で亡くなった。38歳だった。その娘が、のちに『フランケンシュタイン』を書くメアリー・シェリーである。
悲しみの中で、ゴドウィンは妻の伝記を書いた。愛情を込め、包み隠さずに。婚外の恋と出産、自殺未遂が明かされると、世間は彼女の思想ごと退けた。慎みのない女の書いた本として、その後数十年、この本の名を口にすることさえ憚られるようになった。

この本を取り戻したのは、19世紀の女性参政権の運動だった。この本はアメリカでセネカ・フォールズ会議を開いた世代の女性たちにも読まれ、1891年にはイギリスの参政権運動の指導者ミリセント・フォーセットが序文を書いて新しい版が出た(イギリスの女性参政権運動)。女性が劣って見えるのは、劣った教育しか与えられていないからだ。今では当たり前に聞こえるこの一文を、最初に一冊の本としてまっすぐ論じたのが、この本だった。