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Event / できごと

簡体字とピンイン

Simplified Chinese characters
AD1956年1月28日
重要度 3
ソビエト連邦大英帝国中国インドモンゴル新疆Manchuriaチベットパキスタンアフガニスタンビルマタイ日本ラオスフィリピンカンボジア朝鮮(ソ連軍政)ネパール安南バングラデシュTonkin朝鮮(アメリカ軍政)AD1956年1月28日北京
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概要

1949年の中華人民共和国の成立のとき、国民の8割ほどは読み書きができなかったとされる。漢字の数の多さと画数の複雑さが、その壁の一つとみなされた。1956年1月28日、国の政府は「漢字簡化方案」を公布し、画数の多い漢字を簡単な形に改めた。「國」は「国」に、「書」は「书」に。1958年には、漢字の読みをローマ字で表す「漢語ピンイン」が定められ、学校で発音を教えるのに使われた。識字の運動と学校教育の広がりで、読み書きのできる人は大きく増えた。台湾や香港では、いまも伝統の字体の漢字が使われている。

場所

北京
39.90°N 116.41°E · 中国

本文

清朝の末から、中国の知識人たちは、国が弱いのは国民の多くが読み書きできないからであり、その原因の一つは漢字の難しさにあると考えた。五四運動の時代(五四運動)、胡適や陳独秀は、古典の文語ではなく話し言葉で文章を書く「白話」の運動を進め、魯迅は、漢字をやめてローマ字にすべきだとまで論じた(魯迅)。1930年代には、漢字の画数を減らした簡体字の案が国民政府から出されたが、反対が強く、すぐに取り下げられた。

1949年に中華人民共和国が成立したとき、国民の8割ほどが読み書きできなかったとされる。共産党の政府は、識字を国の大きな課題とし、農村や工場で大人に字を教える運動を進めた。毛沢東は、文字の改革は世界の文字に共通するローマ字の方向へ進むべきだが、その前にまず漢字を簡単にするよう指示した。

1956年1月28日、国務院は「漢字簡化方案」を公布した。昔から民間で使われてきた略字や、草書の形、字の一部だけを残す方法、同じ音の簡単な字で置き換える方法などを使って、数百の漢字の画数を減らした。「國」は「国」に、「書」は「书」に、「馬」は「马」に、「門」は「门」に、「龍」は「龙」になった。1964年には、簡体字を一覧にした表がまとめられ、2千字あまりが改められた。

1958年2月、全国人民代表大会は「漢語ピンイン方案」を承認した。ラテン文字と声調の記号を使って、標準語の発音を書き表す方法である。ピンインは漢字に取って代わることはなかったが、学校で子どもたちに字の読みを教え、辞書を引き、のちにはコンピューターや携帯電話で漢字を入力するための道具になった。1982年には、中国語をローマ字で書くときの国際的な基準にもなった。

文化大革命のさなかの1977年、さらに多くの字を簡単にする第二次の案が出されたが、混乱を招いたとして1986年に撤回された。簡体字は、中国本土とシンガポールで使われている。一方、台湾、香港、マカオでは、伝統の字体の「繁体字」が使われ続け、同じ中国語でも、字の形が二つに分かれたままになっている。

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