概要
敗戦の翌年、日本の文字のあり方は大きく変わった。占領軍に招かれたアメリカの教育使節団は、漢字の学習が子どもの重荷になっているとして、ローマ字を使うことを勧めた。作家の志賀直哉は、いっそフランス語を国語にしてはどうかと書いた。1946年11月16日、政府は、日常に使う漢字を1850字に限る当用漢字表と、発音に近い書き方にする現代かなづかいを告示した。「てふてふ」は「ちょうちょう」と書くことになった。新聞や教科書はこれに従い、漢字は数を絞られた。1981年には、目安としての常用漢字表に改められ、2010年に2136字になった。
場所
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都
本文
明治以来、日本では漢字を減らそうという議論が繰り返されてきた(漢字御廃止之議)。1923年には、日常に使う漢字を千数百字に絞る案が作られ、新聞社の多くがこれに従おうとしたが、その直後の関東大震災で立ち消えになった。軍部と国粋の思想が強まった時代には、漢字を減らすことは日本の伝統を壊すものとして退けられた。
敗戦は、文字の問題を一気に動かした。1946年3月、占領軍に招かれて来日したアメリカの教育使節団は、報告書で、漢字の学習が子どもたちに過重な負担をかけ、民主主義に必要な知識を身につける妨げになっているとして、ローマ字を国の文字として採用するよう勧めた。作家の志賀直哉は、同じ年、雑誌に、日本語を捨てて世界で一番美しい言葉であるフランス語を国語にしてはどうかと書いた。
政府の国語審議会は、漢字の数を制限する方針で検討を急いだ。1946年11月16日、日本国憲法の公布から2週間後、政府は、法令や公用の文書、新聞、雑誌、一般の社会で使う漢字の範囲を1850字とする当用漢字表と、現代かなづかいを内閣の告示で示した。現代かなづかいは、歴史的かなづかいの「てふてふ」を「ちょうちょう」と、「けふ」を「きょう」と、発音に近い書き方に改めるものだった。表にない漢字は、仮名で書くか、別の言葉に言い換えることとされた。「輿論」は「世論」、「編輯」は「編集」と書かれるようになった。
1949年には、漢字の字体を簡単にした当用漢字字体表も示された。「國」は「国」に、「學」は「学」に、「體」は「体」になった。新聞と教科書と公の文書はこれに従い、戦後の日本語の見た目は大きく変わった。
漢字を制限する考えには、文化を貧しくするという批判も強かった。1981年、当用漢字表は、漢字の使用の「目安」とする常用漢字表に改められ、1945字になった。2010年には、パソコンや携帯電話で難しい漢字も簡単に書けるようになったことを受けて、2136字に増やされた。漢字をなくすという議論は、ほとんど聞かれなくなった。