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Event / できごと

五四運動

May Fourth Movement
AD1919年5月4日
重要度 5

概要

パリ講和会議が、ドイツの山東の権益を日本に渡した。北京の学生3000人が天安門に集まり、親日派の曹汝霖の家を焼いた。逮捕、ストライキ、上海の商人の休業、日本製品の不買。政府は調印を拒んだ。新文化運動(『新青年』、陳独秀、胡適、魯迅、白話文)が政治になった。李大釗と陳独秀がマルクスを読み、1921年、共産党。

場所

北京
39.90°N 116.41°E · 中国

本文

1919年1月、パリ講和会議。中国は連合国の側で(労働者14万人をヨーロッパに送った)、ドイツが山東に持っていた権益(青島、膠済鉄道)の返還を求めた。日本は1915年の二十一か条と1917年の秘密協定(イギリス、フランス、イタリアが日本の要求を支持する)と、1918年の段祺瑞政権との交換公文(借款の代わりに山東の日本の権益を「欣然同意」)を出した。4月30日、会議は山東を日本に。

北京。5月3日夜、北京大学で学生の集会。5月4日、日曜日、午後1時半、天安門前に13の学校の3000人。「青島を返せ」「二十一か条を取り消せ」「売国奴を罰せよ」(曹汝霖、章宗祥、陸宗輿)。「外争国権、内懲国賊」。使節館区へ行って入れず、曹汝霖の家(趙家楼)へ。曹はいなかった。章宗祥がいて、殴られた。家に火をつけた。32人が逮捕された。

5月5日から、北京の学生がストライキ。5月7日、蔡元培(北京大学の学長)が学生を釈放させ、辞めて北京を出た。6月3日、北京で学生1000人が逮捕された。6月5日、上海。商人が店を閉め、労働者6万人がストライキ(中国で最初の政治ストライキ)。天津、南京、武漢、広州。日本製品の不買。6月10日、政府は3人を罷免した。6月28日、パリの中国代表団は調印しなかった(パリの中国人留学生が代表団のホテルを囲んだ)。

新文化運動。1915年、陳独秀『新青年』。「民主と科学(徳先生と賽先生)」。1917年、胡適「文学改良芻議」(白話文、話し言葉で書く)。1918年、魯迅『狂人日記』(「礼教が人を食う」)。1919年、五四で、それが街に出た。

李大釗(北京大学図書館長)は1918年に「ボリシェヴィズムの勝利」を書いていた。図書館の助手に毛沢東がいた(1918〜19年)。1920年、陳独秀が上海で共産主義小組。1921年7月、上海で第1回大会。13人。

「五四運動」は、中国共産党の公式の歴史では、「新民主主義革命」の始まりで、5月4日は青年節。台湾では、自由主義の運動(胡適)として記憶される。天安門広場の人民英雄記念碑の浮き彫りの一つが、五四。1989年、天安門の学生は、五四の70年を掲げた。

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