概要
人口が百万人に近づいた帝政のローマでは、市民の大多数が、インスラと呼ばれる何階建てもの集合住宅に住んでいた。一階には通りに面して店が並び、上の階ほど狭く、家賃は安く、貧しい人が住んだ。台所も便所も水道も無い部屋が多く、人々は公衆の浴場と便所、屋台の食べ物に頼った。急ごしらえの建物はしばしば崩れ、火事も絶えなかった。皇帝たちは建物の高さを制限し、64年の大火のあとには、ネロが通りを広げ、燃えにくい材料を使うよう命じた。詩人たちは、崩れかけた高い部屋の暮らしの惨めさを書き残している。
場所
41.89°N 12.49°E · イタリア・ラツィオ州
本文
共和政の末から帝政の時代にかけて、ローマの都には、地中海の各地から人が集まり、人口は百万人に近づいたと考えられている。限られた土地に多くの人が住むため、建物は上へ上へと伸びた。裕福な人々は、中庭を囲む一戸建ての屋敷「ドムス」に住んだが、市民の大多数は「インスラ」、すなわち島と呼ばれる、街区一つを占めることもある何階建てもの集合住宅に住んだ。4世紀の都の記録には、およそ千8百のドムスに対して、4万6千を超えるインスラが数えられている。
インスラの一階には、通りに面して、店や工房、居酒屋が並んだ。店の主は、店の奥や中二階に住んだ。二階には、比較的ゆとりのある人々の広い住まいがあったが、上の階に行くほど、部屋は狭く、家賃は安くなり、最上階には貧しい人々が詰め込まれた。いまの都市とは逆に、高い階ほど貧しい人の住まいだった。上の階まで水道は引かれておらず、水は泉から運び上げなければならず、便所も無い部屋が多かった。人々は、町の公衆の便所と浴場を使い、部屋の壺にためた汚物を、ときには窓から通りに投げ捨てた。台所の無い部屋の住人は、通りの屋台や居酒屋で、温かい食べ物を買った。
インスラは、持ち主が儲けを急いで建てた、木と日干し煉瓦の粗末な建物が多かった。建物は傾き、崩れ、火事はひっきりなしに起きた。皇帝アウグストゥスは、建物の高さを70ローマ・フィート(およそ21メートル)に制限し、消防の組織を作った。64年のローマ大火は、都の大部分を焼いた。そのあと皇帝ネロは、通りを広くまっすぐにし、建物の高さを抑え、建物の前に柱廊を設け、燃えにくい石材を使うよう命じた。のちに皇帝トラヤヌスは、高さの制限を60フィートに下げた。
詩人ユウェナリスは、崩れ落ちそうな建物の最上階で、雨漏りと火事におびえながら暮らす都の庶民の惨めさを、皮肉たっぷりに書いた。夜も荷車の騒音で眠れない、とも嘆いている。
ローマのインスラはほとんど残っていないが、ローマの外港の町オスティアには、煉瓦造りの何階建てもの集合住宅の跡が、通りに沿ってよく残っている。一階の店、上階へ続く階段、中庭、窓の並ぶ壁は、二千年前の都市の集合住宅の暮らしを、いまに伝えている。