できごと

王充『論衡』

Wang Chong's Lunheng
AD80年頃
年に諸説あり重要度 4
古シベリアの狩猟採集民匈奴サカ族の王国ヒンドゥーの諸王国サータヴァーハナ朝カリンガ高句麗アイヌ新羅シンハラAD80年頃紹興(会稽)
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD80年頃の版図を描いています(10勢力)。

概要

会稽の貧しい書生が、書店で立ち読みして暗記し、85篇を書いた。「天は意志を持たない」。「雷は火」。「人は死ねば鬼にならない」。「孔子も間違える」。「虚妄を嫌う」。当時は読まれず、200年後に蔡邕が隠して読んだ。中国で最も徹底した懐疑の本。

場所

紹興(会稽)
30.00°N 120.58°E · 中国・浙江省

関わった人(1)

王充AD27年–AD97年頃 · 著者

本文

後漢の時代、儒学は国の学問として重んじられていた(儒学の官学化)。前漢の董仲舒が唱えた考えでは、天と人とは感応しあい、君主が悪い政治をすれば、天は日食や地震、洪水などの災いを下して警告する。さらに前漢の末から後漢にかけては、未来を予言し、経書の隠れた意味を説く讖緯の書が流行した。後漢を建てた光武帝も、讖緯の予言を根拠に即位の正しさを唱えたほどである。

王充は紀元27年、会稽郡の上虞(いまの浙江省)の貧しい家に生まれた。自伝にあたる「自紀」篇によれば、祖先は軍功で一時は爵位を得たが、気性の荒い家系で人と争い、土地を移り住んだという。王充は早くに父を失い、都の洛陽の太学に学んで、『漢書』の著者班固の父である班彪に師事したとされる。家が貧しくて本を買えず、洛陽の市場の書店で売り物の本を読み、一度読めば暗記したと伝えられる。

紹興(2007年)
紹興(2007年)Wikimedia Commons Benutzer:Adam.hase · Public domain

王充は郷里に戻って郡や県の小役人を務めたが、上役と意見が合わずに職を辞すことが多かった。やがて家に籠もり、人との付き合いを断ち、部屋の窓や壁のあちこちに筆と、竹簡を削る小刀を置いて、思いつくたびに書きつけたという。そうしてできたのが『論衡』である。「衡」は秤のことで、世の議論を秤にかけて重さを量るという意味になる。全85篇とされるが、1篇は題だけが伝わり、いまに残るのは84篇である。王充は自ら、この書の目的は一言でいえば「虚妄を疾む」、つまり偽りと誤りを憎むことだと書いている。

王充はまず、天に意志があるという考えを退けた。天は自然そのものであり、人の行いに応じて災いや吉兆を下すことはない。人が生まれるのは、天が意図して作るのではなく、気が集まって自然に生じるのだという。雷についても、天が悪人を罰する怒りではないと論じた。雷に打たれた人の体は焦げており、雷は火の一種である。もし天が悪人を選んで打つのなら、なぜ罪のない人や木や家畜まで打たれるのか、と王充は問うた。

紹興の大善塔
紹興の大善塔Wikimedia Commons Gisling · CC BY 3.0

死後の霊魂についても、王充は疑った。人は気が集まって生き、死ねば気が散って意識もなくなる。死者が幽霊になるのなら、太古から死んだ人は数えきれず、道には幽霊があふれているはずだが、見たと言う人は皆、死んだばかりの者の姿しか語らないではないか、というのである。手厚い葬儀が死者のためになるという考えにも、王充は首をかしげた。

王充の矛先は、聖人にも向けられた。「問孔」篇では『論語』の中の孔子の言葉の食い違いを一つずつ挙げ、孔子の言うことでも筋が通らないなら問いただしてよいと論じた。「刺孟」篇では孟子を批判している。聖人の言葉を疑うことは、当時の学問の世界では考えられないことだった。

ただし王充は、何もかもを理屈で割り切ったわけではない。人の貧富や地位は、生まれたときに受けた気によって定まった「命」で決まっていて、努力や徳では変えられないとも説いた。骨相によって人の運命が分かるという考えも受け入れている。天の意志を否定した結果、人の運命は自然のめぐりあわせに委ねられることになったのである。

『論衡』は、王充が生きているあいだ、ほとんど読まれなかった。王充は1世紀の末、故郷で貧しいまま亡くなったとされる。後漢の末、学者の蔡邕が江南で『論衡』を手に入れ、話の種本として秘蔵したという逸話が伝わる。蔡邕の議論が急に鋭くなったので、人々が不思議に思って調べると、帳の陰からこの書が出てきたという。中国の歴代の学者の多くは、王充を聖人を誹った異端として退けた。

評価が変わったのは近代になってからである。20世紀の中国では、天の意志や霊魂を否定した王充は、中国の唯物論の先駆者として高く評価され、教科書にも取り上げられた。もっともそれは、王充を後の時代の思想の枠に当てはめた読み方でもある。権威ある説を自分の目で確かめ、筋の通らないものは誰の言葉でも疑うという態度こそが、2000年近く前の『論衡』がいまも読まれる理由だろう。

同じ時代のできごと

『エリュトラー海案内記』AD60年頃硬貨で出る聖水AD1世紀ブーディカの反乱AD60年ローマ大火AD64年7月仏教が中国へAD1世紀エルサレム神殿の破壊AD70年マサダの陥落AD73年ヴェスヴィオ火山の噴火79年8月24日(近年は10月説が有力)
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