周期表
概要
元素を重さの順に並べると性質が周期的に戻る。表の空欄に未発見の元素の重さと性質を書き、15年のうちに三つとも見つかった。
場所
59.93°N 30.36°E · ロシア
関わった人(1)
ドミトリ・メンデレーエフAD1834年2月8日–AD1907年2月2日 · 作成本文
1869年の初め、サンクトペテルブルク大学の化学の教授ドミトリ・ドミトリ・メンデレーエフは、学生のための教科書を書いていた。当時知られていた元素は60あまり。それをどの順に、どうまとめて説明すればよいのか。彼は元素を軽いものから順に並べ、性質の似たものが同じ列に来るように配置した一枚の表を作った。その年の3月、表はロシア化学会で発表された。元素の周期表の始まりである。
元素とは何か、という問いの近代の出発点は、18世紀の終わりにある。フランスのアントワーヌ・ラヴォアジエは、それ以上分けられない物質を元素と定め、33の元素の一覧を示した(ラヴォワジエ『化学原論』)。19世紀の初めには、イギリスのドルトンが、元素ごとに固有の重さを持つ原子からできているという説を唱えた(ドルトンの原子論)。以後、化学者たちは元素の原子の相対的な重さ、つまり原子量を競って測った。新しい元素も次々に見つかった。

ただ、19世紀の半ばまで、原子量の値は研究者によってばらばらだった。何を基準にどう計算するかで、同じ元素の重さが2倍や半分に食い違った。1860年、ドイツのカールスルーエに世界の化学者が集まって話し合い、イタリアのカニッツァーロが原子量を整理する方法を示した。これで、元素を重さの順に並べるための信頼できる物差しがそろった。
並べてみると、ふしぎなことに気づく。リチウム、ナトリウム、カリウムは、水に入れると激しく反応する、よく似た金属である。フッ素、塩素、臭素も互いによく似ている。そして、重さの順に並べると、似た性質の元素が一定の間隔をおいて繰り返し現れる。

このことに気づいたのは、メンデレーエフが最初ではない。1829年にはドイツのデーベライナーが、似た元素が三つずつ組になることを指摘していた。1860年代には、フランスのド・シャンクルトワが元素を円筒に螺旋状に並べ、イギリスのニューランズは、8番目ごとに似た元素が現れることを音階になぞらえて「オクターブの法則」と名づけた。ニューランズが1866年にロンドンの化学会で発表すると、元素をアルファベット順に並べてみても何か見つかるのではないか、とからかわれたという。ドイツのロータル・マイヤーも、メンデレーエフとほぼ同じころ、よく似た表を作っていた。
メンデレーエフの表が他と違ったのは、二つの大胆な判断による。一つは、性質の並びを重さの並びより優先したことである。重さの順に並べると性質が合わない場所では、測られた原子量のほうが間違っていると考えて、元素の位置を入れ替えたり、原子量を直したりした。たとえば、ベリリウムやウランの原子量について、彼は当時の値を改めるべきだと主張し、のちの測定で彼の言い分が正しいと分かった。

もう一つは、表に空欄を残したことである。性質の並びを守ろうとすると、どうしても元素が足りない場所が出てくる。彼はそこを無理に詰めず、まだ見つかっていない元素がここに入るはずだ、と考えた。そして1871年には、アルミニウムの下、ホウ素の下、ケイ素の下に来るはずの三つの元素について、原子量、密度、どんな化合物を作るか、まで具体的に予言した。仮に「エカアルミニウム」「エカホウ素」「エカケイ素」と名づけた。エカはサンスクリット語で「一つ」を意味する。
予言は、思ったより早く確かめられた。1875年、フランスのルコック・ド・ボアボードランが、亜鉛の鉱石の中から新しい元素を見つけ、母国の古い名にちなんでガリウムと名づけた。その性質は、エカアルミニウムの予言にほぼ合っていた。ただ、測られた密度だけが予言より小さかった。メンデレーエフは、試料が不純なはずだから測り直してほしいと手紙を書いた。発見者がよく精製して測り直すと、密度は予言の値に近づいた。会ったこともない元素について、見つけた本人より予言した人のほうが正しかったのである。

1879年にはスウェーデンのニルソンがスカンジウムを、1886年にはドイツのヴィンクラーがゲルマニウムを見つけた。どちらも、エカホウ素とエカケイ素の予言とよく合っていた。とくにゲルマニウムは、原子量、密度、酸化物の性質まで予言とほとんど一致し、化学者たちを驚かせた。15年あまりのうちに、三つの空欄はすべて埋まった。表そのものの美しさより、この予言の的中こそが、周期表が自然の本当の姿を映していることの証拠になった。
もちろん、メンデレーエフの表は完全ではなかった。テルルとヨウ素のように、重さの順と性質の順がどうしても逆になる組があり、彼はテルルの原子量の測定が誤っていると考えたが、それは外れていた。1890年代にアルゴンをはじめとする貴ガスが見つかったときには、表のどこにも入る場所がなく、初めは彼自身も戸惑った。結局、貴ガスは新しい列として表に加えられ、表はかえって強固になった。

なぜ元素の性質が周期的に繰り返すのか。その理由は、メンデレーエフの時代には誰にも分からなかった。答えが出たのは20世紀である。1913年、イギリスの若い物理学者モーズリーが、元素から出るX線を調べて、元素の順番を決めているのは重さではなく、原子核の持つ電気の量、つまり原子番号であることを示した。これでテルルとヨウ素の逆転も説明がついた。さらに、原子核のまわりの電子がどのように層をなして並ぶかという考え(ボーアの原子模型)と、その後の量子力学が、性質の繰り返しを電子の配置から説明した。メンデレーエフは、仕組みを知らないまま、その結果を正しく読み取っていたことになる。
メンデレーエフは、表の作者であるだけでなく、石油や農業、度量衡の行政にも携わった多才な人だった。ノーベル化学賞の候補にもなったが、受賞しないまま1907年に世を去った。1955年、アメリカで人工的に作られた101番目の元素は、彼の名をとってメンデレビウムと名づけられた。

その後も表は伸び続けた。マリ・キュリーが見つけたラジウムやポロニウム(ラジウムの発見)、そして加速器で原子核をぶつけて作られた重い元素が、次々に表の端に加わった。2016年には、日本の理化学研究所が作った113番目の元素がニホニウムと名づけられ、アジアで初めて見つかった元素として表に載った。いまの周期表には118の元素が並び、第7周期まですべての席が埋まっている。教室の壁に貼られたあの表は、150年前に一人の教授が教科書のために作り、空欄に未来を書き込んだ一枚の紙から始まっている。