概要
ラザフォードの原子(中心に核、周りに電子)は、古典物理では電子が落ちて潰れるはずだった。ボーアは、電子はとびとびの軌道だけを回り、軌道を飛び移るときに光を出す、と言った。水素のスペクトルの線が全部合った。「量子跳躍」。理由は説明しなかった。1922年、ノーベル賞。コペンハーゲンの研究所に、世界の若い物理学者が集まって、量子力学を作った。
場所
55.68°N 12.57°E · デンマーク
関わった人(1)
ニールス・ボーアAD1885年10月7日–AD1962年11月18日 · 考えた本文
1911年、ラザフォードはα粒子を金箔に当てて、原子の中心に小さくて重い核があると分かった。周りを電子が回る。しかし、電磁気学では、回る電子は光を出してエネルギーを失い、10⁻¹⁰秒で核に落ちる。原子は存在できないはずだった。
ボーアは1912年、マンチェスターのラザフォードの下にいた。26歳。デンマークに帰って、結婚して、1913年、3本の論文(「三部作」)。
仮定。電子は、決まった軌道だけを回る(角運動量が h/2π の整数倍)。軌道にいる間は光を出さない(なぜかは言わない)。軌道から軌道へ「跳ぶ」とき、エネルギーの差を光として出す(E₂-E₁=hν)。
水素のスペクトル。バルマー系列(1885年、スイスの教師が見つけた式)。ボーアの式から、リュードベリ定数が、電子の質量と電荷とプランク定数から計算できた。誤差1%以内。「バルマーの式を見たとたん、全部が分かった」。
アインシュタインは「最大の発見の一つ」と言った。ラザフォードは「電子は跳ぶ前に、どこへ跳ぶか、どうやって知るのか」と聞いた。ボーアは答えられなかった。答えは12年後の量子力学で、「軌道」も「跳ぶ」もなくなった。しかしボーアの模型は、化学の周期表を説明し(1922年、ハフニウムを予言して見つけた)、いまも教科書と、原子のマークに残っている。
1916年、コペンハーゲン大学教授。1921年、理論物理学研究所(カールスバーグの金で)。クラマース、パウリ、ハイゼンベルク、ディラック、ガモフ、ランダウ、湯川。ボーアは若い人と、散歩しながら、何時間も話した。話しながら考えた。「ボーアは考えを、他人に向かって話すことで作った」。1922年、ノーベル賞。