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Event / できごと

ラヴォワジエ『化学原論』

Lavoisier's Elementary Treatise on Chemistry
AD1789年
重要度 5

概要

フロギストンはない。燃焼は酸素との結合。質量は保存する。元素表33(光と熱を含む)。新しい命名法(1787年、酸素、水素、窒素、硫酸)。妻マリー=アンヌが実験を記録し、図を描き、英語を訳した。「化学革命」。同じ年、バスティーユ。5年後、徴税請負人として断頭台。「その頭を切るのは一瞬だが、同じ頭は100年かかっても生まれない」(ラグランジュ)。

場所

パリ
48.86°N 2.35°E · フランス

関わった人(1)

アントワーヌ・ラヴォアジエAD1743年8月26日–AD1794年5月8日 · 書いた

本文

1770年代。ゲオルク・シュタール(1700年頃)の「フロギストン」。燃える物はフロギストン(燃素)を含み、燃えるとフロギストンが出て行く。金属を熱すると灰(金属灰、酸化物)になり、灰に炭(フロギストンを多く含む)を加えて熱すると金属に戻る。説明はできた。ただし、金属灰は金属より重い。フロギストンが出て行ったのに、重い。「フロギストンは負の重さを持つ」と言う人もいた。

ラヴォワジエは1772年、リンと硫黄を燃やして、重くなることを、密封した容器で確かめた。空気と結びついている。1774年、パリに来たプリーストリーが、酸化水銀を熱して出る「脱フロギストン空気」(蝋燭が明るく燃え、鼠が長く生きる)の話をした。シェーレも1772年に見つけていた(「火の空気」。発表が遅れた)。ラヴォワジエは1775〜77年、その気体が空気の5分の1で、燃焼と呼吸に使われ、酸を作ると考えて、「オキシジェーヌ(酸を生むもの)」と名づけた(間違い。塩酸には酸素がない)。1783年、水は水素と酸素の化合物(キャヴェンディッシュの実験を聞いて。ラプラスと)。「水素(イドロジェーヌ、水を生むもの)」。1785年、水の分解と合成を公開実験で。

1787年、『化学命名法』(ギトン・ド・モルヴォー、ベルトレ、フルクロワと)。「硫黄の油」「ミネラルのアルカリ」「アルセニックのバター」をやめて、元素の名前を組み合わせる。硫酸、硫酸塩、酸化物、酸化鉛。いま使っている名前。

1789年3月、『化学原論(Traité élémentaire de chimie)』。2巻、13の図版(マリー=アンヌが描いた)。序文。「私が化学を改革したのは、言語を改革することによってだ。言語はよく作られた分析の方法である」(コンディヤック)。第1部、気体、燃焼、酸、水、発酵(「物質は、実験の前と後で、量が同じである」。質量保存の法則。「ラヴォワジエの法則」)。第2部、元素表。33。「光、熱(カロリック)、酸素、窒素、水素」、非金属(硫黄、リン、炭素、塩素の元、フッ素の元、ホウ素の元)、金属17、土5(石灰、マグネシア、重土、アルミナ、シリカ。まだ分解できなかった)。「元素とは、まだ分解できていないもの」。第3部、装置と操作。

1789年、バスティーユ。ラヴォワジエは徴税請負人(フェルム・ジェネラル。国に前払いして、税を取り立てる民間の会社。憎まれた)で、パリの市壁(密輸を防ぐ税関の壁。1785年から。「パリを囲む壁が、パリをつぶやかせる」)を提案した人だった。マラーは1780年に科学アカデミーに論文を拒まれて(ラヴォワジエが審査)、革命で「ラヴォワジエは民衆の空気を壁で止めた」と書いた。1793年、アカデミーが廃止され、11月、徴税請負人が全員逮捕された。1794年5月8日、革命裁判所。28人。裁判は午前中に終わった。「共和国は科学者を必要としない。正義が進む」と裁判長コフィナルが言った、という話は、1795年の追悼演説からで、確かでない。夕方、革命広場。ラヴォワジエは4番目。50歳。

「その頭を切るのは一瞬だったが、同じ頭は100年かかっても生まれないだろう」(ラグランジュ)。

1年半後、名誉回復。マリー=アンヌは1805年、ランフォード伯(アメリカ生まれの物理学者、熱の研究)と再婚して、すぐ別れた。夫の『化学回想録』を出版した。1836年まで生きた。

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