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Event / できごと

右が偶数、左が奇数

Paris house numbering of 1805
AD1805年2月4日
重要度 3
ロシア帝国大英帝国スペイン帝国ポルトガル帝国オスマン帝国デンマーク=ノルウェー中央アジアの諸ハン国ペルシアスウェーデンオーストリア帝国神聖ローマ帝国スペインフランスNejdモロッコプロイセンAlgiersAirイギリスアイルランド王国シュヴァーベン両シチリア王国Tunisサルデーニャ王国TripolitaniaMecklenburg-StrelitzCyrenaicaザクセンAD1805年2月4日パリ
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1805年2月4日の版図を描いています(28勢力)

概要

革命のころのパリには、番地の付け方がいくつも混在していた。通りの片側を端から順に数えて向かい側を戻ってくるものもあれば、地区ごとに通し番号を振ったものもあり、同じ通りに同じ番号が二つあることさえあった。1805年の布告で、セーヌ県知事フロショは一つの決まりにそろえた。セーヌ川に向かう通りは川に近い端から、川に沿う通りは上流の端から数え始める。進む向きに右が偶数、左が奇数。番号を見れば、川がどちらにあるかも分かる。このやり方は、いまも世界の多くの町で使われている。

場所

パリ
48.86°N 2.35°E · フランス

本文

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