できごと

住居表示

Japan's Residence Indication Act
AD1962年5月10日
重要度 3
ソビエト連邦中国モンゴルチベットビルマ大英帝国タイ日本ベトナムラオスフィリピンカンボジア朝鮮民主主義人民共和国大韓民国AD1962年5月10日東京
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1962年5月10日の版図を描いています(14勢力)。

概要

日本の住所は、明治の地租改正で土地に振った番号、つまり地番をそのまま使っていた。地番は税をかけるための土地の番号で、家を探すための番号ではない。土地が分けられれば枝番が付き、隣り合う家の番号が飛び、同じ番号の家がいくつもある。郵便配達も、訪ねる客も迷った。1962年、住居表示に関する法律が作られ、町を道路で囲まれた区画に分け、区画ごとに建物へ番号を振り直すことになった。何丁目何番何号という住所は、ここから広まった。ただし、土地の登記には、いまも元の地番が使われている。

場所

東京
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都

本文

日本の住所の多くは、もともと土地に振られた番号でできていた。明治の初め、政府は税の仕組みを改め、米で納める年貢をやめて、土地の値段に応じたお金で税を納めさせることにした(地租改正)。そのために、全国の土地を一区画ずつ測り、持ち主を確かめ、それぞれに番号を付けた。これが「地番」である。

地番は、もともと税をかけるための土地の番号だった。だが、ほかに家を特定する仕組みがなかったので、人々はこの地番を住所としても使った。「何町何番地」という住所は、この土地の番号のことである。手紙の宛先にも、役所の届けにも、この番地が書かれた。

794年に格子状に作られた平安京の大内裏。京都の町名・番地は今もこの格子に基づく
794年に格子状に作られた平安京の大内裏。京都の町名・番地は今もこの格子に基づくWikimedia Commons Wikiwikiyarou · Public domain

地番は、土地の番号であって、家の番号ではない。そのため、家を探す目印としては不便なことが多かった。一つの土地が分けられて売られると、元の番号に枝番が付いて「何番地の何」になる。それがさらに分かれると、枝番にまた枝番が付く。反対に、一つの広い土地に何十軒もの家が建てば、それらはみな同じ番地になる。しかも番号は、土地が登録された順や、分けられた順に付いていて、道に沿って並んでいるとは限らない。隣り合う家の番号が百も離れていたり、一つの番地が町のあちこちに飛び地のように散らばっていたりすることさえあった。

郵便の配達人は、番地を頼りに家を探して迷った。初めて訪ねる客も迷い、急病人のもとへ向かう救急車や、火事の現場へ急ぐ消防車も迷った。戦後の東京では、地方から人が流れ込み、田畑が次々に宅地に変わって、土地は細かく分けられていった。番地の混乱は、ますますひどくなっていた。

英語の説明が付いた日本の住居表示板
英語の説明が付いた日本の住居表示板Wikimedia Commons Snolygoster · Public domain

1962年5月10日、「住居表示に関する法律」が公布された。家を探すための番号を、土地の番号とは別に付け直すための法律である。二つのやり方が定められた。

一つは「街区方式」である。町を、道路や川、線路などで囲まれた一つ一つの区画、つまり街区に分け、街区ごとに番号を振る。そして、街区の周りを一定の間隔で区切りながら一周し、それぞれの建物の出入口がどこに面しているかによって、建物に番号を振っていく。こうして「何丁目何番何号」という住所ができる。「番」は街区の番号、「号」はその街区の中での建物の番号である。

もう一つは「道路方式」で、道路に名前を付け、その道に沿って建物に番号を振っていく。ヨーロッパやアメリカの多くの町と同じやり方だが、日本では道に名前が付いていないことがほとんどだったため、この方式はごく一部の地域でしか使われなかった。

住居表示は、まず東京で進められた。1964年の東京オリンピックを控え(東京オリンピック)、外国から訪れる人々にも分かりやすい町にする必要があった。その後、全国の都市へ広がっていく。いま、多くの人が当たり前に書いている「何丁目何番何号」という住所は、この法律から生まれたものである。

住居表示を行うときには、町の区切りそのものも見直された。古い小さな町をいくつかまとめて、新しい広い町にする。その中を、一丁目、二丁目と分ける。この作業の中で、江戸時代から続いてきた多くの町名が消えていった。その土地の歴史や職人の町の名残を伝えていた名前が、無味乾燥な名前に置き換わることに、各地で反対の声が上がった。のちに法律が改められ、町の名を変えるときには、昔からの名前をできるだけ残すよう求められるようになった。石川県の金沢市では1999年、一度消えた旧町名を復活させており、同じような動きはほかの町にも広がった。

一方で、住居表示を行わなかった町もある。京都の中心部では、碁盤の目のような通りに一本一本名前が付いていて、「何通の何通を上ル」というように、通りの交わるところから北へ上がるか南へ下がるかで場所を示す住所が、昔から使われてきた。通りに名前のある町では、それがいちばん分かりやすい住所だったのである。

いま、日本の多くの家には、住所が二つある。一つは、住居表示による住所で、郵便の宛先や住民票に使われる。もう一つは、昔ながらの地番で、土地の売り買いや相続など、登記に使われる。住居表示を行っていない地域では、いまも地番がそのまま住所になっている。税をかけるための番号と、家を探すための番号が、同じ家に別々に付いているのである。

住所の付け方には、その国の町の作りが表れる。パリでは、通りごとに番号を振り、右側に偶数、左側に奇数を割り当てた(右が偶数、左が奇数)。十八世紀のオーストリアでは、兵を集めるために村の家を一列に数えた(家に番号を振る)。韓国は二十一世紀に入って、地番による住所から、道に名前を付けて番号を振る住所へと切り替えた(道の名の住所)。日本は、通りに名前がない町が多かったために、区画に番号を振る道を選んだ。町が通りでできているのか、区画でできているのか。その違いが、住所の形を決めている。

同じ時代のできごと

朝鮮語学会事件1942年10月スターリングラードの戦いAD1942年8月23日ダーウィン空襲AD1942年2月19日珊瑚海海戦AD1942年5月7日マンハッタン計画AD1942年8月ココダの戦いAD1942年「インドを立ち去れ」運動AD1942年8月8日ガダルカナルの戦いAD1942年8月7日
この項目は誰でも直せます。編集する編集履歴
AD1962年の世界を地図で見る国境・できごと・生きている人が、その年のものに入れ替わります歴史データベースとは? →