できごと

道の名の住所

South Korea's road name address system
AD2014年1月1日
重要度 3
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このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD2014年1月1日の版図を描いています(16勢力)。

概要

韓国の住所は、日本の統治下の1910年代、土地調査事業で土地に振られた番号にもとづいていた。税と登記のための番号で、家を探すには向かない。町が大きくなり、道が引き直されると、地番はますます並びがばらばらになった。韓国は道に名前を付け、道の起点から建物に番号を振る仕組みに切り替えることにした。法律は2006年に作られ、切り替えを延ばした末、2014年1月1日から道の名の住所だけを使うことになった。人々は長年使ってきた住所を手放すのを嫌がった。住所を変えることは、植民地の名残を外すことでもあった。

場所

漢城(ソウル)
37.57°N 126.98°E · 大韓民国

本文

2013年まで、韓国の住所は土地の番号、つまり地番で書かれていた。その地番の多くは、日本の統治下で振られたものである。1910年の韓国併合のあと、朝鮮総督府はすぐに土地の調査に取りかかり、1918年までかけて朝鮮半島の土地を一筆ずつ測った。持ち主に届け出をさせ、境界を定め、番号を振って台帳を作り、税をかける。日本が地租改正でやったことを、植民地で大がかりに繰り返したのである。

この土地調査事業は、韓国では長く、届け出の手続きを知らない農民から土地を奪った収奪の事業として語られてきた。近年の研究には、奪われた土地の規模はそれほど大きくなかったとする見方もあり、評価はいまも分かれる。確かなのは、そこで作られた地番が税と登記のための番号であり、家を探すための番号ではなかったということだ。住所も、その番号をそのまま使った。

韓国の道路名住所システムの図
韓国の道路名住所システムの図Wikimedia Commons Narubaru7 · CC BY 4.0

地番の住所は、独立のあとも続いた。困ったのは、町が大きくなってからである。1960年代から、ソウルは人が押し寄せて急に膨らんだ。田畑が宅地に変わり、一筆の土地が分けられると、番号に枝番が付き、さらに枝番が付く。並びはばらばらになり、同じ番地にいくつもの建物が建ち、隣どうしの番号が飛ぶ。郵便配達や救急の隊員でさえ、初めての家を探すのに苦労した。番地の並びに頼れないため、目印の店や建物を頼りに道を説明するのが当たり前だった。

日本も同じ悩みを抱えていた。日本は1962年の住居表示で、町を街区に分けて番号を振り直す道を選んだ。韓国は、別の道を選んだ。区画ではなく、道に名前を付けるのである。欧米の多くの都市が使ってきたやり方だった。1990年代から試行が始まり、2006年に道の名による住所を定める法律ができた。

新しい仕組みはこうである。まず、すべての道に名前を付ける。道は幅によって呼び分け、広い通りを「大路」、それに次ぐ通りを「路」、狭い道を「キル(道)」と呼ぶ。道の名には、歴史上の人物や地名、その土地の特徴がとられた。ソウルの中心を貫く世宗大路は、ハングルを作った世宗大王にちなむ。

次に、道の起点から、建物に番号を振る。起点から見て左側が奇数、右側が偶数である。この考え方は、19世紀の初めにパリで定められた付け方(右が偶数、左が奇数)と同じ系統にある。そして番号は、起点からの距離に合わせて振る。道の両側を合わせて、およそ20メートルごとに番号が二つ進む。番号を見れば、起点からどれだけ離れているかが、おおよそ分かる。番号の間に空きを残しておけば、あとから建物が建っても枝番を付けずに済む。

切り替えは、簡単ではなかった。人々は、長年使ってきた住所を覚えている。新しい住所には、町の名前、つまり何々洞という昔ながらの地名が出てこない。自分の住む町の名が消えることを嫌がる人は多かった。名の知れた町の名が住所から消えれば、土地や家の値段に響く、と心配する声もあった。道の名がなじみの無い人名や新しい造語であることにも、反発があった。

政府は2011年に新しい住所を正式に告示し、古い住所との併用の期間を置いた。全面的な切り替えは当初2012年の予定だったが、準備が追いつかず延期され、2014年1月1日から、役所の手続きでは道の名の住所だけを使うことになった。翌2015年には、郵便番号も新しい五桁のものに改められている。それでも、日常の会話や不動産の取引では、古い地番の住所や町の名で場所を言う人がいまも多い。登記の書類には、地番がそのまま残っている。

住所を変えることは、場所の呼び方を変えることである。そして、その呼び方を誰が作ったのかを問うことでもある。地番は、植民地の支配のために作られた番号だった。切り替えをめぐる議論では、植民地の名残を外すという意味もしばしば語られた。ただし、切り替えの理由として政府が強く掲げたのは、便利さだった。救急車や消防が早く着くこと、荷物が迷わず届くこと、そして外国から来た人が道に迷わないことである。

18世紀にハプスブルク家の領地で、兵を集めるために家々に番号が振られてから(家に番号を振る)、二百四十年あまり。番号は、国が人と土地を数えるために生まれ、やがて住む人と訪ねる人のために振り直されてきた。韓国の道の名の住所は、その長い流れのいちばん新しい一つである。

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