概要
20世紀の半ば、中東や南米の石油は、「セブン・シスターズ」と呼ばれる欧米の大きな石油会社が掘り、値段を決めていた。1959年と1960年、石油会社は、産油国に相談もなく原油の公示価格を引き下げ、産油国の収入は減った。1960年9月14日、イラン、イラク、クウェート、サウジアラビア、ベネズエラの5か国はバグダードに集まり、石油輸出国機構、OPECを作った。産油国が手を組んで、石油の値段と生産の量を自分たちの手に取り戻そうとしたのである。1973年の石油危機で、OPECは世界の経済を揺るがす力を見せつけた。
場所
33.32°N 44.37°E · イラク
本文
20世紀の前半、中東や南米の油田の多くは、欧米の大きな石油会社が、産油国の政府から広大な土地の採掘の権利を得て開発した。アメリカのスタンダード系の会社、イギリスのアングロ・イラニアン(のちのBP)、英蘭のロイヤル・ダッチ・シェルなど、7つの会社が世界の石油の多くを握り、「セブン・シスターズ」と呼ばれた。原油の値段も、生産の量も、会社が決めていた。
1950年代、産油国は利益を会社と半分ずつ分ける取り決めを勝ち取ったが、取り分の元になる原油の値段は、なお会社の手の中にあった。イランは1951年に石油を国有化しようとしたが、欧米の圧力とクーデターで挫折した。1959年と1960年、石油の供給が余るなかで、石油会社は、産油国に相談もなく原油の公示価格を引き下げた。産油国の収入は、そのたびに減った。
ベネズエラの鉱業炭化水素大臣フアン・パブロ・ペレス・アルフォンソと、サウジアラビアの石油局長アブドゥッラー・タリーキーは、産油国が手を組んで会社に対抗すべきだと考えた。1960年9月、イラクの呼びかけで、イラン、イラク、クウェート、サウジアラビア、ベネズエラの5か国の代表がバグダードに集まり、9月14日、石油輸出国機構、OPECを作った。本部ははじめジュネーヴに、1965年からウィーンに置かれた。
はじめの十年、OPECの力は限られていた。だが1970年代に入ると、産油国は次々に石油の会社の資産を国のものにし、値段を自分たちで決めるようになった。1973年10月、第四次中東戦争が始まると、アラブの産油国は、イスラエルを支持する国々への石油の輸出を止め、生産を減らした。OPECは原油の公示価格を数か月で4倍に引き上げ、石油危機が世界を襲った(日本ではトイレットペーパーの買いだめが起きた)。1979年のイラン革命のあとには、第二次の石油危機が起きた。
1980年代、北海やアラスカなどOPECの外の油田が増え、省エネルギーが進むと、OPECの力は弱まった。加盟国どうしも、生産の量の割り当てを守らず、対立した。2016年からは、ロシアなどOPECの外の産油国も加えた「OPECプラス」として、生産の量を調整している。石油の時代が終わりに向かうなかで、産油国は石油に頼らない経済への移り変わりを迫られている。