概要
1940年5月10日、ドイツ軍は中立のオランダ、ベルギー、ルクセンブルクに攻め込んだ。ロッテルダムでは、川の橋をはさんでオランダ軍が抵抗を続けていた。14日、ドイツ軍は降伏しなければ町を爆撃すると迫り、話し合いが進んでいた昼すぎ、爆撃機の編隊が中心街に爆弾を落とした。中止の合図は一部の機にしか届かなかった。火は燃え広がり、九百人近くが死に、八万人ほどが家を失う。ユトレヒトも同じ目に遭わせると脅されたオランダは、翌日降伏し、女王と政府はロンドンへ渡った。古い中心街を失ったロッテルダムは、戦後、近代建築の町として建て直された。
場所
51.92°N 4.48°E · オランダ・南ホラント州
本文
第一次世界大戦で中立を守ったオランダは、次の戦争でも中立でいられると考えていた。1940年5月10日の夜明け、ドイツ軍はオランダ、ベルギー、ルクセンブルクに同時に攻め込んだ。オランダには、空から落下傘の兵が降り、橋と飛行場を押さえた。フランスへ向かう主力のための、北の側の守りを固める作戦だった。
ロッテルダムでは、ドイツの空挺の兵がマース川の橋を押さえたが、対岸のオランダ軍が抵抗を続け、何日も橋を渡れなかった。5月14日、ドイツの司令官は、降伏しなければ町を破壊すると最後通告を出した。オランダの司令官が返事のための交渉をしているあいだに、ドイツの爆撃機およそ九十機が、町の中心へ向かっていた。地上では攻撃をやめさせようとしたが、取りやめの合図の照明弾を見て引き返したのは一部の編隊だけだった。
午後1時半ごろ、爆弾が中心街に落ちた。消防の水道管が壊れ、油の倉庫や木の家に火が移り、火は二日間燃え続けた。九百人近くが死に、二万五千戸ほどの家が焼けて、八万人ほどが住む家を失った。中世からの教会の一部など、わずかなものを残して、古い中心街は消えた。
その日の夕方、ドイツはユトレヒトにも同じことをすると脅し、オランダの軍は翌日降伏した。女王ウィルヘルミナと政府は、すでにロンドンへ渡っていた。戦後のロッテルダムは、元の町並みを復元せず、歩行者のための商店街や斬新な建物を置く、近代の町として建て直された。焼け跡に立つ彫刻家ザッキンの像「破壊された都市」は、胸に穴の開いた人が両腕を天に上げている。