概要
独ソ不可侵条約でフィンランドをソ連の勢力の範囲に置いたスターリンは、レニングラードに近いカレリア地峡の国境を下げるよう求め、フィンランドは拒んだ。1939年11月30日、ソ連軍が攻め込み、ヘルシンキに爆弾が落ちた。人口370万の小国は、雪の森をスキーで動く部隊と、マンネルヘイム線の守りで大軍を食い止め、ソ連は国際連盟から除名される。翌年2月、ソ連は兵と砲を増やして守りを破り、3月の講和でフィンランドは国土の一割ほどを譲った。独立は守ったが、四十万人が故郷を離れた。
場所
60.60°N 29.60°E · ロシア・レニングラード州(1940年まではフィンランド領)
本文
1939年8月の独ソ不可侵条約の秘密の議定書は、フィンランドをソ連の勢力の範囲に入れていた。10月、スターリンはフィンランドに、レニングラードから30キロほどのところにあるカレリア地峡の国境を下げ、湾の入口の島や半島を貸すよう求めた。代わりに北の森を譲るという。フィンランドは、譲れば次の要求が来ると考えて断った。
11月26日、ソ連は国境の村マイニラが砲撃されたと言い立てた。のちにソ連自身の仕業だったとみられている。30日、ソ連軍が国境を越え、ヘルシンキに爆弾が落ちた。ソ連はフィンランドの共産主義者に傀儡の政府を作らせ、数週間で片が付くとみていた。国際連盟は12月、ソ連を除名した。
戦いは思いどおりに進まなかった。白い服を着てスキーで森を動くフィンランドの小部隊は、細い道に長く伸びたソ連の隊列を切り分けて包囲し、零下40度の寒さの中で打ち破った。北のスオムッサルミの戦いがその代表である。戦車には、瓶に燃料を詰めた火炎瓶で立ち向かい、ソ連の外相の名をとって「モロトフ・カクテル」と呼んだ。カレリア地峡では、コンクリートの陣地と塹壕を連ねたマンネルヘイム線が持ちこたえた。
1940年2月、ソ連は兵と砲を大きく増やし、マンネルヘイム線を破った。3月12日、モスクワで講和が結ばれ、翌日戦いは止まった。フィンランドは第二の都市ヴィープリを含むカレリアなど、国土の一割ほどを失い、そこに住んでいた四十万人ほどが、ほぼ全員、故郷を捨てて移り住んだ。死者はフィンランドが二万数千人、ソ連はその数倍にのぼったとされる。
赤軍の不手際は、ヒトラーにソ連軍は弱いと思わせた理由の一つになった。1941年、ドイツがソ連に攻め込むと(独ソ戦の始まり)、フィンランドは失った土地を取り戻すためにドイツと並んで戦った。これを継続戦争と呼ぶ。1944年、フィンランドは再び講和し、さらに土地を譲ったが、ソ連に占領されることはなく、独立を守り通した。