← 地図で見る
Event / できごと

冬戦争

Winter War
AD1939年11月30日 – AD1940年3月13日
期間を持つできごと重要度 4
大英帝国ソビエト連邦デンマークイギリス領インド帝国アルジェリア(フランス領)ポルトガル帝国イランスウェーデンノルウェードイツフィンランドフランスアフガニスタンスペインMesopotamia (GB)トルコポーランドMorocco (France)ルーマニアイタリアSyria (France)イギリスYugoslaviaアルメニアチュニジアギリシャハンガリーブルガリアCzechoslovakiaラトビアアイルランドリトアニアエストニアAD1939年11月30日カレリア地峡(位置は特定されていない)
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1939年11月30日の版図を描いています(33勢力)。

概要

独ソ不可侵条約でフィンランドをソ連の勢力の範囲に置いたスターリンは、レニングラードに近いカレリア地峡の国境を下げるよう求め、フィンランドは拒んだ。1939年11月30日、ソ連軍が攻め込み、ヘルシンキに爆弾が落ちた。人口370万の小国は、雪の森をスキーで動く部隊と、マンネルヘイム線の守りで大軍を食い止め、ソ連は国際連盟から除名される。翌年2月、ソ連は兵と砲を増やして守りを破り、3月の講和でフィンランドは国土の一割ほどを譲った。独立は守ったが、四十万人が故郷を離れた。

場所

カレリア地峡位置は特定されていない(誤差 ±60km)
60.60°N 29.60°E · ロシア・レニングラード州(1940年まではフィンランド領)

本文

1939年8月の独ソ不可侵条約の秘密の議定書は、フィンランドをソ連の勢力の範囲に入れていた。10月、スターリンはフィンランドに、レニングラードから30キロほどのところにあるカレリア地峡の国境を下げ、湾の入口の島や半島を貸すよう求めた。代わりに北の森を譲るという。フィンランドは、譲れば次の要求が来ると考えて断った。

11月26日、ソ連は国境の村マイニラが砲撃されたと言い立てた。のちにソ連自身の仕業だったとみられている。30日、ソ連軍が国境を越え、ヘルシンキに爆弾が落ちた。ソ連はフィンランドの共産主義者に傀儡の政府を作らせ、数週間で片が付くとみていた。国際連盟は12月、ソ連を除名した。

戦いは思いどおりに進まなかった。白い服を着てスキーで森を動くフィンランドの小部隊は、細い道に長く伸びたソ連の隊列を切り分けて包囲し、零下40度の寒さの中で打ち破った。北のスオムッサルミの戦いがその代表である。戦車には、瓶に燃料を詰めた火炎瓶で立ち向かい、ソ連の外相の名をとって「モロトフ・カクテル」と呼んだ。カレリア地峡では、コンクリートの陣地と塹壕を連ねたマンネルヘイム線が持ちこたえた。

1940年2月、ソ連は兵と砲を大きく増やし、マンネルヘイム線を破った。3月12日、モスクワで講和が結ばれ、翌日戦いは止まった。フィンランドは第二の都市ヴィープリを含むカレリアなど、国土の一割ほどを失い、そこに住んでいた四十万人ほどが、ほぼ全員、故郷を捨てて移り住んだ。死者はフィンランドが二万数千人、ソ連はその数倍にのぼったとされる。

赤軍の不手際は、ヒトラーにソ連軍は弱いと思わせた理由の一つになった。1941年、ドイツがソ連に攻め込むと(独ソ戦の始まり)、フィンランドは失った土地を取り戻すためにドイツと並んで戦った。これを継続戦争と呼ぶ。1944年、フィンランドは再び講和し、さらに土地を譲ったが、ソ連に占領されることはなく、独立を守り通した。

同じ時代のできごと

ILOの設立AD1919年10月29日三・一独立運動AD1919年3月1日バウハウスの創立1919年4月ヴェルサイユ条約AD1919年6月28日セーブ・ザ・チルドレンと子どもの権利の宣言AD1919年5月19日ヴァイマル憲法AD1919年8月11日アムリトサル虐殺AD1919年4月13日五四運動AD1919年5月4日
この項目は誰でも直せます。編集する編集履歴
AD1939年の世界を地図で見る国境・できごと・生きている人が、その年のものに入れ替わります
20世紀以降のできごと一覧 →人物一覧 →
歴史データベースとは? →