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Event / できごと

ウルグ・ベクの星表

Zij-i Sultani of Ulugh Beg
AD1437年
重要度 5

概要

ティムールの孫が、サマルカンドに半径40メートルの六分儀を地中に埋めて作り、30年、星を測った。1018個の星の位置。1年の長さを365日5時間49分15秒とした(誤差25秒)。ヒッパルコス以来、最も正確な星表で、ヨーロッパが追い抜くのは17世紀。1449年、王位を継いだ息子に殺された。天文台は宗教者に壊され、20世紀に地中の六分儀の溝だけが見つかった。

場所

サマルカンド
39.63°N 66.97°E · ウズベキスタン

関わった人(1)

ウルグ・ベクAD1394年3月22日–AD1449年10月27日 · 測った

本文

ミールザー・ムハンマド・タラガイ・ウルグ・ベク。ティムールの孫。1394年、祖父の遠征の途中、スルターニーヤで生まれた。「ウルグ・ベク」は「偉大な君主」を意味するテュルク語の通称。

1409年、15歳でサマルカンドの統治者。父シャー・ルフはヘラートにいて、帝国の東半分を彼に任せた。

彼は、政治より学問を好んだ。「宗教は霧のように散るが、科学の業績は永遠に輝く」と言った、と伝える。

1417年、サマルカンドにマドラサ(学院。レギスタン広場にいまも建っている)。入口に「知識の追求は、すべてのムスリムの男女の義務である」というハディースを刻ませた。天文学と数学を教えた。教師に、ジャムシード・ギヤースッディーン・カーシー(『算術の鍵』。円周率を16桁まで計算した。10進小数を体系的に使った最初期の一人)とカーディーザーデ・ルーミー(アナトリア出身)。

1424〜28年、天文台。丘の上に、直径46メートルの円筒形の3階建て。中心の装置が特別だった。「ファフリー六分儀」——半径40.4メートルの巨大な四分円(六分儀)を、子午線に沿って、地面を深く掘って、そこに石で作った。地下に11メートル、地上に30メートル。大きいほど、目盛りが細かく刻める。1度の目盛りが70センチになった。太陽と月と惑星の南中を測った。

30年の観測(実際には20年ほど)。1437年(改訂1449年)、『ズィージ・イ・スルターニー(王の天文表)』。

内容。暦の理論、三角法(正弦と正接の表。1分ごと、小数点以下8桁。カーシーが sin 1° を18桁まで計算した)、惑星の運動、そして星表。

星表。1018個の恒星の位置。プトレマイオス『アルマゲスト』の1022個を、自分たちで測り直した(サマルカンドから見えない南天の星を除いて、992個を新たに測った)。ヒッパルコス(BC2世紀)とプトレマイオス(AD2世紀)以来、独立に作られた最初の大きな星表。ティコ・ブラーエ(16世紀)まで、これを超えるものはなかった。

数値。1年(恒星年)の長さ、365日6時間10分8秒(現代の値との差+58秒)。回帰年、365日5時間49分15秒(差+25秒)。黄道傾斜角23度30分17秒(当時の実際は23度30分48秒)。歳差、1年に51.4秒(現代値50.3秒)。

政治。1447年、父シャー・ルフが死んだ。ウルグ・ベクはティムール朝の君主になったが、統治は続かなかった。有力な部族と宗教勢力の支持を得られなかった。1449年、息子アブドゥッラティーフが反乱した。ウルグ・ベクは負け、息子に降伏し、メッカ巡礼を許されて出発した。サマルカンドの郊外で、アブドゥッラティーフが差し向けた者(父に殺された男の息子、と伝える)に、首を斬られた。55歳。

アブドゥッラティーフは6か月後に殺された。天文台は、宗教的な保守派によって破壊された。学者は散り、カーディーザーデの弟子アリー・クシュチーは星表を持ってタブリーズへ、そしてイスタンブールへ行った(オスマンの天文学に伝わった)。

1908年、ロシアの考古学者ヴャトキンが、古い文書の記述をたよりに丘を掘って、地中に埋まった六分儀の弧の部分(地下に残っていた11メートル)を見つけた。いま、そこが博物館になっている。石の溝を、階段を降りて、見ることができる。

同じ時代のできごと

イロコイ連邦の成立(大平和の法)AD15世紀頃(1142年説もある)カビールの詩AD15世紀モアの絶滅AD15世紀ノルウェー領グリーンランドの終焉AD15世紀半ばマデイラの植民AD1420年死の舞踏1424年黎朝の大越AD1428年琉球王国の統一AD1429年