壁に描かれた歴史
概要
革命のあとのメキシコで、教育相になったバスコンセロスは、国民の大半が字を読めないという現実に向き合った。学校を建てるのには年月がかかる。彼は画家たちに、役所や学校の壁を開け放った。ディエゴ・リベラは、もとは修道院だった教育省の建物に、五年をかけて百を超える場面を描いた。畑を耕す農民、鉱山の労働者、先住民の祭り。そこに描かれたのは、王や将軍ではなく、名もない人々の国だった。かつて修道士たちが、字の読めない先住民に壁の絵で教えを説いたのと同じ場所で、今度は国が、自分たちの歴史を壁に描いた。
場所
19.43°N -99.13°E · メキシコ
本文
1910年に始まったメキシコ革命は、10年にわたる内戦になった。独裁者ディアスが倒れたあとも、マデロ、ウエルタ、カランサ、ビリャ、サパタと、指導者と軍勢が入れ替わりながら戦い続け、死者や国外へ逃れた人は合わせて100万人を超えたとされる。戦いがようやく収まった1920年、オブレゴン政権のもとで、新しい国をどう作るかが問われた。
翌1921年、新設の公教育省の長官に、哲学者で弁護士のホセ・バスコンセロスが就いた。彼が向き合ったのは、国民の大半が字を読めないという現実だった。農村の先住民の多くはスペイン語を話さず、ナワトル語やマヤ語などで暮らしていた。そして革命を戦った兵士の多くは、まさにそういう人々だった。

バスコンセロスは二つのことを同時に進めた。一つは学校である。村々に教師と「文化使節団」を送り、ギリシアの古典やトルストイの本を安く刷って配った。もう一つが壁だった。学校を建て、子どもが字を覚えるまでには年月がかかる。そのあいだにも、新しい国が何を目指しているのかを、字を読めない大人たちに見せなければならない。彼は画家たちに、役所や学校の壁を開け放った。
画家たちは日給の職人並みの報酬で足場に上がった。彼らは技術者・画家・彫刻家の組合を作り、絵を金持ちの客間に飾られる品物ではなく、公の場で働く労働者の仕事だと宣言した。キャンバスに描いて売るのではなく、建物の壁に直接、漆喰が乾く前に顔料を染み込ませるフレスコで描く。一度描けば動かせない絵である。
中心にいたのがディエゴ・リベラ(1886〜1957年)だった。若いころヨーロッパに渡り、パリでパブロ・ピカソらと交わりながら新しい絵画を試していたが、イタリアで古いフレスコ画を見て回ったのち、バスコンセロスに呼ばれて1921年に帰国した。1923年から1928年まで、彼は公教育省の建物の中庭を囲む三層の回廊に、100を超える場面を描き続けた。建物はもともと修道院だったものである。
描かれたのは、畑を耕し、トウモロコシを収穫する農民。坑道へ降りていく鉱山の労働者と、地上で身体を調べられる姿。染め物をする女たち、先住民の祭りと市場。村の教師が大人たちに字を教え、農民が土地の分配を受ける場面もある。王や将軍はほとんど出てこない。名もない人々が、この国の主人公として壁を埋めている。リベラはこの仕事の途中でフリーダ・カーロと出会い、のちに結婚する。

リベラのほかに、ホセ・クレメンテ・オロスコとダビッド・アルファロ・シケイロスが壁に向かった。オロスコは革命の悲惨さと人間の苦しみを激しい筆で描き、シケイロスは画家の政治参加を最も強く唱えた。三人は「三大巨匠」と呼ばれ、メキシコ壁画運動はこの三人の名とともに語られる。描き方も考え方もそれぞれ違い、互いに激しく対立することも多かった。
壁に絵を描いて教えることは、メキシコでは新しいやり方ではなかった。16世紀、テノチティトランの陥落の後にやって来たスペインの修道士たちは、字を読めずスペイン語も話さない先住民にキリスト教を伝えるため、各地に建てた修道院の壁に聖書の場面や地獄と天国の絵を描かせた。400年後、同じように修道院だった建物の壁に、今度は国が、自分たちの歴史を描いた。教える中身が信仰から国家に変わっただけで、壁が字の代わりをするという形は同じだった。

壁画は動かせない。美術館に買われることも、金持ちの家に運ばれることもない。毎日その前を通る人々が見る。その強さは、そのまま危うさでもあった。壁を与えるのは国であり、描かれるのは見せる側が選んだ歴史である。描かれた内容に反発した学生が壁画を傷つけたこともあり、政権が替わると画家への注文が途絶えることもあった。
国の外では、もっと露骨なことが起きた。1933年、リベラはニューヨークのロックフェラー・センターに壁画を頼まれたが、描き込んだ人物の中にレーニンの顔があった。依頼主は消すように求め、リベラは拒んだ。壁画は完成しないまま覆われ、翌年、壁ごと壊された。リベラはのちにメキシコシティの芸術宮殿で同じ構図を描き直している。

それでも壁画運動は国境を越えて広がった。1930年代のアメリカでは、ニューディールの美術事業が失業した画家たちに郵便局や学校の壁を描かせたが、その手本の一つはメキシコの壁画だった。1960年代以降には、アメリカ南西部のメキシコ系の人々が、自分たちの町の壁に自分たちの歴史を描き始める。字を読めない人に届けるための絵は、同時に、何を届けるかを選ぶ絵でもあった。その両面を抱えたまま、メキシコの壁画はいまも役所や学校の回廊で、通る人を見下ろしている。