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Event / できごと

第1回ツール・ド・フランス

Tour de France
AD1903年7月1日 – AD1903年7月19日
期間を持つできごと重要度 3
大英帝国ロシア帝国グリーンランドオスマン帝国ドイツ帝国アラビアポルトガル帝国エジプトペルシアスウェーデン=ノルウェーオーストリア=ハンガリー帝国フランススペイングレートブリテン及びアイルランド連合王国アルジェリアモロッコイタリアルーマニアアイスランドチュニジアブルガリアギリシャデンマークセルビアボスニア・ヘルツェゴビナAD1903年7月1日パリ
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1903年7月1日の版図を描いています(25勢力)。

概要

フランスのスポーツ新聞『ロト』の編集長アンリ・デグランジュは、ライバルの新聞との部数の争いに勝つため、フランスを一周する自転車の競走を企画した。1903年7月1日、60人の選手がパリの郊外を出発し、リヨン、マルセイユ、トゥールーズ、ボルドー、ナントを回って、6区間、二千四百キロあまりを走った。勝ったのは、煙突掃除夫だったモーリス・ガランだった。新聞は日々の戦いを書き立てて部数を伸ばした。翌年の大会では、列車に乗るなどの不正が相次いだ。ツールは毎年夏に開かれる大会となり、のちには薬物の使用の発覚にもたびたび揺れた。

場所

パリ
48.86°N 2.35°E · フランス

本文

19世紀の末、フランスでは自転車が大流行し、自転車の競走は人気の見世物になった(安全型自転車の登場)。新聞は、競走を主催して記事にすることで、部数を伸ばした。パリとボルドー、パリとブレストを結ぶ長距離の競走が開かれ、何十万人もの観客を集めた。

1900年、スポーツ新聞『ロト・ヴェロ』(のちの『ロト』)が創刊された。編集長のアンリ・デグランジュは、元自転車の選手で、ライバルの新聞『ル・ヴェロ』との部数の争いに勝つための目玉を探していた。若い記者ジョルジュ・ルフェーヴルの提案で、デグランジュは、フランスをぐるりと一周する前代未聞の自転車の競走を開くことにした。

1903年7月1日の午後、パリの南の郊外モンジュロンの宿屋の前から、60人の選手が出発した。区間は、パリからリヨン、リヨンからマルセイユ、トゥールーズ、ボルドー、ナント、そしてパリへ戻る6つで、合わせて2428キロ。一つの区間は400キロ前後もあり、選手たちは夜通し、でこぼこの砂利道を走った。区間と区間の間には、数日の休みがあった。19日、パリに戻った21人のうち、首位で帰ってきたのは、イタリア生まれで、かつて煙突掃除夫をしていたモーリス・ガランだった。『ロト』は大会の様子を連日書き立て、部数は何倍にもなった。

1904年の2回目の大会は、不正に満ちていた。選手が列車や車に乗り、ライバルの通る道に釘をまき、観客が他の選手を襲った。上位の4人がのちに失格となり、デグランジュは大会をやめることも考えた。だが大会は続けられ、1910年にはピレネーの山々が、1911年にはアルプスが、コースに加えられた。1919年には、総合首位の選手が、『ロト』の紙の色にちなんだ黄色いジャージを着るようになった。

ツール・ド・フランスは、毎年7月に3週間かけてフランスを巡る、世界で最も有名な自転車の大会になり、沿道には毎年千万人を超える観客が集まるといわれる。一方で、ツールは薬物の問題に繰り返し揺れた。1998年には、あるチームの車から大量の禁止薬物が見つかり、2012年には、7連覇していたアメリカのランス・アームストロングが、組織的な薬物の使用を理由に、すべての優勝を取り消された。

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