できごと

ライト兄弟の初飛行

Wright Flyer
AD1903年12月17日
重要度 4
大英帝国カナダアメリカ合衆国アメリカ合衆国グリーンランドメキシココロンビアベネズエラフランススペイングレートブリテン及びアイルランド連合王国ニカラグアホンジュラスグアテマラAD1903年12月17日キティホーク
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1903年12月17日の版図を描いています(14勢力)。

概要

12秒、36メートル。翼を大きくすることでもエンジンを強くすることでもなく、操縦の問題として解いた。新聞はほとんど報じなかった。

場所

キティホーク
36.06°N -75.71°E · アメリカ合衆国・ノースカロライナ州

関わった人(1)

ライト兄弟AD1867年(兄ウィルバー。弟オーヴィルは1871年)–AD1948年(弟オーヴィル。兄ウィルバーは1912年) · 飛行

本文

19世紀の終わり、空を飛ぶ機械はまだ夢だった。気球と飛行船は浮かぶことができたが(飛行船)、空気より重い機械が自分の力で飛び、思うところへ向かうことは、誰にもできていなかった。ドイツのリリエンタールはグライダーで2000回以上滑空してみせたが、1896年、突風にあおられて墜落し、死んだ。

オハイオ州デイトンで自転車屋を営む兄弟が、その死の知らせを読んでいた。兄ウィルバーと弟オーヴィル(ライト兄弟)。牧師の家に生まれ、どちらも大学には行っていない。印刷所を開き、自転車の流行に乗って店を出し、自分たちで設計した自転車を作って売っていた。1899年、ウィルバーはスミソニアン協会に手紙を書き、飛行についての資料を送ってもらっている。

ライトフライヤー(1903年の初飛行時)
ライトフライヤー(1903年の初飛行時)Wikimedia Commons John T. Daniels · Public domain

資料を読んだ兄弟は、先人たちが二つの問題に力を注いできたことに気づいた。機体を浮かせる翼と、前へ進ませるエンジンだ。三つ目の問題がほとんど手つかずだった。空中で機体の釣り合いをとり、思う向きへ曲がる、つまり操縦だ。自転車に乗る人が体を傾けて曲がるように、飛ぶ機械も乗り手が絶えず釣り合いをとらなければならない。兄弟は、そこを先に解くべきだと考えた。

鳥が翼の先をねじって旋回するのを見て、二人は翼全体をたわませて左右の揚力を変える仕組みを考えた。細長い紙箱をひねっているときに思いついたと伝わる。1900年からノースカロライナ州のキティホークの砂丘へ通い、グライダーで試した。気象局の資料を調べて、風が強く一定で、柔らかい砂があり、人目の少ない場所を選んだのである。

ライトフライヤー号の風洞模型(NASA)
ライトフライヤー号の風洞模型(NASA)Wikimedia Commons NASA · Public domain

ところが1901年のグライダーは、計算どおりの揚力を出さなかった。原因は、先人たちの作った揚力の表にあった。兄弟は自分たちで測り直すことにする。その秋、店の奥に長さ2メートルほどの木の箱と送風機で風洞を作り、金属板を切って作った200種類ほどの小さな翼を、自転車の部品を使った天秤で一つずつ測った。翌1902年のグライダーには動く方向舵をつけ、千回近く滑空して、三つの軸で機体を操る方法を身につけた。

残るはエンジンだった。自動車用のエンジンは重すぎ、注文に応じてくれる会社も無かった。店の職人チャーリー・テイラーが、6週間ほどで軽いアルミ鋳物のエンジンを作り上げた。12馬力ほど。プロペラは船のスクリューの理論が当てにならず、兄弟は回転する翼と考えて自分たちで理論を作り、設計した。

1903年ライトフライヤー号の水平4気筒エンジン
1903年ライトフライヤー号の水平4気筒エンジンWikimedia Commons Attributed to Orville Wright (1871–1948). · Public domain

1903年12月14日、硬貨を投げて勝ったウィルバーが最初に挑んだが、機首を上げすぎて失速し、わずかに壊した。修理を終えた17日の朝は、風が強く、凍えるほど寒かった。10時半ごろ、今度はオーヴィルが腹ばいで乗り、木のレールの上を走り出した機体が浮き上がった。12秒、36メートル。人が乗った動力機が、自分の力で浮かび、操られて、出発点と同じ高さの地面に降りた最初の飛行とされる。

近くの救難所の隊員ジョン・ダニエルズが、据えてあったカメラのシャッターを押した。カメラに触れたのは初めてだったという。浮き上がった瞬間の機体と、横で走り出したばかりのウィルバーを写した一枚が、いまも残っている。その日、兄弟は交代で4回飛び、最後はウィルバーが59秒、260メートルを飛んだ。直後に突風で機体が転がり、壊れた。この機体は二度と飛んでいない。

米国の飛行士免許証
米国の飛行士免許証Wikimedia Commons Public domain

新聞はほとんど報じなかった。わずかに出た記事も、事実と違う中身だった。9日前、政府とスミソニアンの資金を受けたラングレー教授の機体が、首都の川で墜落したばかりだった。名のある学者にできないことを、田舎の自転車屋が成し遂げたとは、信じにくかったのである。

兄弟は翌年からデイトン郊外の牧草地で飛行を続け、1905年には30分以上飛んで旋回し、八の字を描けるまでになった。それでも、特許と契約を守るために公開を控えたため、とくにヨーロッパでは「飛ぶ人か、嘘つきか」と疑われた。1908年8月、ウィルバーがフランスのル・マン近くで公開飛行を行い、観衆の前で自在に旋回してみせた。疑いは一日で消えた。初飛行から5年がたっていた。

ライトフライヤー号の初飛行
ライトフライヤー号の初飛行Wikimedia Commons John T. Daniels · Public domain

その翌月、アメリカ陸軍の前で飛んだオーヴィルの機体が墜落し、同乗の中尉が死んだ。動力機の事故で死んだ最初の人になる。ウィルバーは1912年に腸チフスで死に、オーヴィルは1948年まで生きた。キティホークの初飛行から24年後にはリンドバーグの大西洋単独無着陸飛行で大西洋が越えられ、オーヴィルが死ぬころには、ロケット機が音速を超えていた。

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