できごと

猫の放し飼い令

Kyoto cat release edict of 1602
1602年
重要度 2
ロシア帝国中央アジアの諸ハン国スペイン帝国明チベットイスラムとヒンドゥーの諸国アユタヤ朝Koryaks日本シャン諸邦大越朝鮮王朝Itelmen大越ビルマの諸王国カンボジアラオスLan NaアイヌモシリPegu1602年京都
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っている1602年の版図を描いています(20勢力)。

概要

鼠の害に悩む京都で、京都所司代が猫の綱を解いて放し飼いにせよと高札で命じた。公家の日記『時慶記』に記録がある。

場所

京都
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府

関わった人(1)

徳川家康AD1543年–AD1616年 · 命令の背後にいたとされる天下人

本文

日本に猫がいつ来たのかは、はっきりしない。仏教の経典を鼠から守るために大陸から連れてこられたと語られてきたが、これは言い伝えである。発掘では、長崎県の壱岐にある弥生時代の遺跡から猫の骨が見つかったと報告されており、もっと古くから人のそばにいた可能性もある。猫の歩みの全体は猫と人の関係に詳しい。

確かな記録に猫が現れるのは平安時代である。宇多天皇は日記に、父から譲られた黒猫の毛並みや身のこなしを細かく書き残した。『枕草子』には、一条天皇が可愛がった猫が五位の位を与えられ、「命婦のおとど」と呼ばれていた話が出てくる。この頃の猫は、大陸渡りの珍しい生き物として、貴族の屋敷で大事に飼われるものだった。逃げないように首に綱を付けてつないでおくのが普通で、絵巻にも紐でつながれた猫の姿がよく描かれている。『源氏物語』では、猫の綱が御簾を引き上げてしまい、柏木が女三宮の姿を見てしまう場面が、物語の大きな転機になっている。

『枕草子』に関わる図版:Sei Shonagon2
『枕草子』Wikimedia Commons 土佐光起 (Tosa Mitsuoki) · Public domain

つないで飼う習いは、その後も長く続いた。猫はかわいがる生き物ではあっても、家の中や町を自由に歩き回って鼠を捕る役目は、あまり期待されていなかったことになる。一方で、京都の町には人と米と蔵が集まり、鼠が増えて悩みの種になっていた。応仁の乱以来の戦乱が収まり、町の建て直しが進んでいた頃のことである。戦国の末には、薩摩の島津義弘が文禄・慶長の役に猫を連れて海を渡り、瞳の開き具合で時刻を計ったという話も伝わっている。生き残った猫を祀ったという社が鹿児島にあるが、これも言い伝えの域を出ない。

関ヶ原の戦いの2年後、1602年(慶長7年)、京都の町に、猫の綱を解いて放し飼いにせよと命じる高札が立てられた。このことは、公家の西洞院時慶の日記『時慶記』に書き留められている。命じたのは、京都の治安と町の政を預かる京都所司代で、前年からその役に就いていた板倉勝重の時代にあたる。天下の実権を握っていた徳川家康の意向を受けたものとする説明もある。板倉勝重は筋の通った裁きで名奉行として慕われた人物で、その裁きの話はのちに『板倉政要』などにまとめられた。町の暮らしに目を配る役人のもとで、鼠の害への手当てとして猫が持ち出されたことになる。狙いは、猫に町の鼠を捕らせることだった。

関ヶ原の戦いに関わる図版:Sekigaharascreen
関ヶ原の戦いWikimedia Commons User LordAmeth on en.wikipedia Collection of The Town of Sekigahara Archive of History and Cultural Anthropology · Public domain

この高札は、江戸時代の初めに書かれた御伽草子『猫の草紙』の発端にもなっている。猫の綱が解かれ、売り買いも禁じられたことで、鼠たちは逃げ場を失って困り果てる。鼠が僧の夢に現れて窮状を訴え、猫がそれに言い返す、という筋立ての物語である。話そのものは作り事だが、猫を放せという命令が、当時の人々のあいだで面白がられ、語り草になっていたことがうかがえる。

この命令が、どれほど京都の鼠を減らしたのかを示す記録は無い。それでも、猫を綱につないで飼う習いが、このころから町の中で次第に薄れていったとはよく言われる。江戸時代には、猫は町や農村を歩き回り、鼠を捕る生き物として暮らしに溶け込んでいった。蚕を鼠から守るために、養蚕の盛んな土地では猫が重んじられ、鼠よけの猫の絵が売られた。浮世絵や招き猫など、猫を描いた文化が花開くのも江戸時代である。

徳川家康の肖像
徳川家康Wikimedia Commons Kanō Tan'yū · Public domain

京都の町角に立った一枚の高札は、猫が貴族の飼う珍しい生き物から、町の暮らしを支える身近な生き物へと変わっていく、その節目を示す出来事として語られている。江戸幕府の成立の前の年のことだった。

動画(1)

世界を騒がす猫歴史4選【放飼い令・猫兵器・猫文通・不沈のサム】非株式会社いつかやる四選の一つとして京都の猫の放し飼い令を語る

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