概要
一日で天下の帰趨が決まった。この配置がそのまま、260年の幕藩体制の骨格になる。
場所
関ヶ原
35.37°N 136.46°E · 日本・岐阜県
35.37°N 136.46°E · 日本・岐阜県
関わった人(3)
徳川家康AD1543年–AD1616年 · 東軍 · 総指揮石田三成AD1560年–AD1600年11月6日(慶長5年10月1日) · 西軍黒田官兵衛AD1546年12月22日–AD1604年4月19日 · 九州で本文
一日で天下の帰趨が決まった。
東軍と西軍、あわせて十数万が集まった。
兵力は、西軍のほうがやや多かったとされる。
決め手は、寝返りになる。
小早川秀秋が松尾山から東軍側へ寝返り、 それに続いて数隊が動いた。
事前の調略が効いていた。 家康は、開戦前から西軍の武将に手紙を送り続けている。
戦いそのものより、 その前の書状のやり取りで勝負がついていた、 という見方がある。
戦後の処置が徹底していた。
西軍側の大名を改易・減封し、 その土地を東軍側に分け与える。
そして、外様大名を遠国に配置した。
この配置が、そのまま260年の幕藩体制の骨格になる。