猫と人の関係
概要
キプロス島に、野生の猫はいなかった。それなのに、9500年前の墓に、人と猫が並んで葬られていた。誰かが船に乗せて連れて来たことになる。猫の家畜化は、農業とともに始まったと考えられている。穀物を貯めれば鼠が来る。鼠が来れば猫が来る。人は追い払わなかった。エジプトで神になり、船に乗って世界へ広がった。犬と違い、猫は用途のために作り変えられなかった。品種の大半は19世紀以降の産物である。
場所
34.75°N 33.30°E · キプロス
本文
地中海東部のキプロス島は、最も近い本土から60キロ以上離れている。この島には、もともと野生の猫はいなかった。人がやって来るまで、島にいた大きな獣は小さなカバやゾウのような、島で独自に進化した動物くらいで、それも人の到来とともに姿を消した。
2004年、フランスの考古学者ジャン=ドニ・ヴィーニュらは、キプロス南部の新石器時代の集落シロウロカンボス遺跡で見つかった一つの墓を報告した。年代はおよそ9500年前。そこには一人の人間が葬られ、そのわずか40センチほど脇に、一匹の猫が葬られていた。猫は生後8か月ほどで、骨に解体された跡は無く、人と同じ向きに横たえられていた。人の墓には、磨いた石や石器、貝などが添えられていた。
この墓が語ることは二つある。島に猫はいなかったのだから、誰かが舟に乗せて運んできたこと。そして、人と並べて葬るほどの関係が、人と猫の間にあったこと。エジプトで猫が神聖な動物とされるより、4000年以上も前のことである。
飼い猫はどこから来たのか。2007年、世界各地の飼い猫と野生の猫の遺伝子を比べた研究が発表された。その結論によれば、飼い猫の祖先は、中東に住むリビアヤマネコの系統である。ヨーロッパのヤマネコでも、アジアの系統でもない。家畜化が始まった場所は、農業が生まれた「肥沃な三日月地帯」で、時期も農業の始まりと重なると考えられている。
犬と違い、猫は何かの役に使うために飼われ始めたのではないとされる。農業が始まり、人が穀物を蓄えるようになると、倉に鼠が集まる。鼠が集まれば、それを狙って猫がやって来る。人は猫を追い払わなかった。鼠を減らしてくれるからである。猫の側でも、人をあまり恐れない個体のほうが、人のそばで多くの獲物にありつけた。互いに得があったので、共に暮らす関係が続いた。人が猫を選んだというより、猫のほうが人の作った環境に入り込んできた。猫は、こうした「自分から家畜になった」動物の最もわかりやすい例とされる。
そのため、飼い猫と野生のリビアヤマネコの違いは小さい。遺伝子の違いは、犬と狼、牛とその祖先の野牛の違いよりずっと小さく、体の大きさや頭の骨の形、手足の比率もほとんど変わっていない。腸がやや長いこと、脳がわずかに小さいことなどが違いとして挙げられる程度である。犬が小型犬から大型犬まで体重で何十倍もの幅を持つのと比べると、猫の姿はほとんど変わっていない(犬の家畜化)。人は猫を用途ごとに作り分けなかった。猫の仕事は鼠を捕ることくらいで、羊を追う猫も、猟をする猫も、そりを引く猫も要らなかった。それに猫は放し飼いが多く、勝手に相手を選ぶので、人が交配を管理しにくかった。
いまある猫の品種の多くは、19世紀以降に作られたものである。1871年、ロンドンの水晶宮で、画家ハリソン・ウィアーの企画による本格的な猫の品評会が開かれた。以後、シャムやペルシャ、アビシニアンといった品種が「確立」され、血統書の制度が整えられていった。
古代エジプトで、猫は特別な地位を得た。女神バステトは、もとは雌ライオンの姿で表されたが、やがて猫の姿で描かれるようになり、家庭や出産の守り神とされた。ナイル三角州の町ブバスティスのバステトの祭りには70万人が集まった、とギリシアのヘロドトスは書いている(ヘロドトス『歴史』)。猫は死ぬとミイラにされ、数十万体が見つかっている。19世紀の末には、エジプトで掘り出された大量の猫のミイラがイギリスへ運ばれ、肥料として競売にかけられたこともあった。紀元前1世紀の歴史家ディオドロスは、エジプトで誤って猫を殺したローマ人が、群衆に殺された事件を記している。

猫は人とともに世界へ広がった。ギリシアやローマを経てヨーロッパ全体へ、シルクロードや海の道を通ってインドや中国へ。船の積み荷や食料を鼠から守るために猫が乗せられ、世界中の港に猫が降り立った。日本には、奈良時代に経典を鼠から守るため唐から連れて来られたという説が長く語られてきたが、長崎県壱岐のカラカミ遺跡からは弥生時代の猫の骨が見つかっていて、もっと古くに渡ってきた可能性もある。平安時代の宇多天皇の日記には、父から譲られた黒猫のことが細かく記されている。ほかの猫は浅黒いのにこれは墨のように黒い、丸くなると足も尾も見えず、黒い玉のようだ、と。猫について個人が書き残した記録として、世界でも古いものの一つである。
猫は宮廷にも入り込んだ。清少納言の『枕草子』には、一条天皇が可愛がった猫が五位の位を与えられ、「命婦のおとど」と呼ばれて大事にされていた話が出てくる。江戸時代には猫を描いた浮世絵が数多く作られ、歌川国芳は猫好きの絵師として知られた。客や福を招くとされる招き猫も、江戸時代の後半には広まっていたらしい。その由来を語る寺や神社の言い伝えはいくつもあるが、どれも伝説の域を出ない。
中世のヨーロッパでは、猫が迫害された時代もあった。13世紀の教皇の文書は、異端の集会で黒猫が崇められていると書いた。その後、猫、とくに黒猫は魔女と結びつけられ(『魔女に与える鉄槌』の時代である)、魔女とともに猫が焼かれた記録もある。猫を殺したから黒死病が広がったという話もよく語られるが、歴史学のうえでの裏付けは弱い。

いま、世界の飼い猫は数億匹にのぼるとされる。一方で、猫は島の生き物にとって最も破壊的な外来の動物の一つになった。ニュージーランドやオーストラリア、太平洋の島々では、多くの固有の鳥やトカゲが猫によって絶滅したり、激減したりした。1894年、ニュージーランドのスティーヴンズ島では、灯台守の飼い猫が、この島にしかいない飛べない小鳥を次々に捕らえてきた。この鳥は、世に知られるのと絶滅がほぼ同時だった(実際には、持ち込まれた猫の群れが滅ぼしたとされる)。アメリカでは、飼い猫と野良猫が一年に殺す鳥の数を13億羽から40億羽と見積もった研究もある。9500年前、人が舟に乗せて島へ猫を運んだことは、いまも続く長い物語の始まりだったのである。