概要
ユリウス暦の一年は365.25日で、実際より約11分長い。千二百年で十日ずれ、復活祭の基準になる春分が三月十一日に来ていた。教皇グレゴリウス13世の勅書により、1582年10月4日木曜の翌日を10月15日金曜とした。十日が消えた。閏年の規則も直した。百で割れる年は平年、四百で割れる年は閏年。カトリック諸国が先に従い、プロテスタントと正教の国は遅れた。イギリスは1752年に十一日を消し、日本は1873年、ロシアは1918年、ギリシアは1923年である。
場所
41.89°N 12.49°E · イタリア・ラツィオ州
関わった人(1)
クリストファー・クラヴィウスAD1538年3月25日頃–AD1612年2月6日 · 暦の委員会本文
**ずれ**。
**ユリウス暦の一年——365.25日**。
(**四年に一度、閏日を置く**。BC45年、カエサルが定めた。)
**実際の一年(春分から春分まで)——365.2422日**。
**差——約0.0078日**。
(——**約11分14秒**。
**一年では、何でもない**。
**128年で、約1日ずれる**。
**そして、千二百年で、約十日**。)
**何が、困るか**。
**復活祭**。
(**325年、ニカイア公会議**が、こう定めた。
**「春分の後の、最初の満月の後の、最初の日曜日」**。
**そして、春分を、3月21日とした**。
——**16世紀には、実際の春分が、3月11日頃に来ていた**。
〈**つまり、教会の暦が、天と、十日ずれていた**。
**復活祭の日付が、間違っている**。
**そして、それに連動する祭日が、すべてずれる**。〉)
**準備**。
**問題は、何世紀も前から、指摘されていた**。
(**ベーダ**(8世紀)が、既に気づいていた。
**ロジャー・ベーコン**(13世紀)が、教皇に書き送った。
**1414年、コンスタンツ公会議**。**1512年、第五ラテラン公会議**。
——**議論は、されていた**。**決まらなかった**。)
**1545年、トレント公会議**が、教皇に改暦の権限を委ねた。
**案**。
**アロイシウス・リリウス**(ルイジ・リリオ、1510頃〜1576年)。
**カラブリアの、医師で天文学者**である。
(——**彼が、案を書いた**。
**そして、それが採用される前に、死んだ**。
**弟アントニオが、原稿を委員会に提出した**。
〈**リリオの原稿そのものは、失われている**。
**委員会の報告書(Compendium)を通じてしか、内容が分からない**。〉)
**リリオの案の、二つの核**。
**(1)ずれた十日を、消す**。
**(2)今後、ずれないように、閏年の規則を直す**。
(——**百で割り切れる年は、閏年にしない**。
**ただし、四百で割り切れる年は、閏年にする**。
〈**1600年——閏年**。
**1700年、1800年、1900年——平年**。
**2000年——閏年**。〉
**結果、四百年に97回の閏日**。
**平均——365.2425日**。
**実際との差——約0.0003日**。
**約3,300年で、1日ずれる**。)
**そして、もう一つ**。
**(3)復活祭を計算するための、月の表(黄金数の表)を、作り直した**。
〈——**実は、こちらのほうが、リリオの独創が大きい**、と評価されている。
**十日を消すことは、誰でも思いつく**。
**月の運行の表を、長期にわたって合うように作り直すのが、難しかった**。〉
**委員会**。
**教皇グレゴリウス13世が、委員会を作った**。
**中心にいたのが、クリストファー・クラヴィウス**(イエズス会)である。
(——**彼が、リリオの案を検討し、細部を詰め、そして、批判に反論する著作を書いた**。
〈**批判は、多かった**。
**天文学者ヴィエトが、月の表を批判した**。
**そして——プロテスタントは、「教皇が時間を支配しようとしている」と受け取った**。〉)
**勅書**。
**1582年2月24日**、**Inter gravissimas**(「最も重大な……のうちに」)。
(**冒頭の言葉から、そう呼ばれる**。)
**実施**。
**1582年10月4日、木曜日**。
**その翌日が——1582年10月15日、金曜日**。
(——**曜日は、連続している**。
**日付だけが、十日、飛んだ**。
〈**なぜ10月か**。
**その時期に、動かせない祝日が少なかった**からである。)
**この日、従ったのは**——**イタリア、スペイン、ポルトガル、ポーランド=リトアニア**、そして**スペイン領・ポルトガル領の植民地**。
(**フランスは、12月**(12月9日の翌日が12月20日)。
**カトリックのドイツ諸邦とネーデルラント南部は、1583年**。)
**遅れ**。
**プロテスタントの国**。
(——**「教皇の暦を使うくらいなら、太陽とずれていたほうがましだ」**。
**ケプラーが言ったとされる言葉**——**「彼らは、太陽と一致するより、キリストと不一致であるほうを選ぶ」**。
**ドイツのプロテスタント諸邦——1700年**。
**イギリス、そしてその植民地——1752年**。
〈**このとき、ずれは11日になっていた**。
**1752年9月2日水曜の翌日が、9月14日木曜**。
**同時に、年の始まりを、3月25日から1月1日に変えた**。
——**「われらの11日を返せ」という暴動があった**という話は、**後世の作り話**とされる。
〈ホガースの版画にある一句が、独り歩きした。
**実際には、地租や賃金の計算をめぐる混乱と苦情はあった**。〉
**そして——ジョージ・ワシントンの誕生日**。
**旧暦で1732年2月11日。新暦で2月22日**。
**彼は、後者を使うようになった**。〉
**スウェーデン——ひどいことになった**。
〈**1700年から、40年かけて、閏日を少しずつ抜いて、じわじわ移行しようとした**。
**1700年の閏日を、抜いた**。
**そして——戦争が始まり、忘れた**。
**1704年と1708年の閏日を、抜き忘れた**。
**結果、ユリウス暦ともグレゴリオ暦とも違う、独自の暦になった**。
**1712年、諦めて、ユリウス暦に戻した**。
——**そのために、2月30日を作った**。
〈**歴史上、実在した2月30日である**。〉
**1753年、改めてグレゴリオ暦に移った**。〉)
**正教の国**。
(——**さらに遅い**。
**ロシア——1918年**(革命の後)。
**〈だから「十月革命」は、新暦では11月7日である**。〉
**ギリシア——1923年**。
**トルコ——1926年**。
**そして——正教会の多くは、いまも、教会暦にユリウス暦を使っている**。
〈**だから、ロシア正教のクリスマスは、1月7日である**。〉)
**日本**。
**1872年(明治5年)12月3日を、1873年(明治6年)1月1日とした**。
(——**太陰太陽暦から、直接、グレゴリオ暦へ**。
**理由の一つが、財政である**。
〈**明治6年は、旧暦では閏月があり、13か月になる**。
**月給制にしたばかりの官吏に、13か月分払うことになる**。
**改暦すれば、12か月**。しかも、明治5年12月は2日で終わるので、その月の給与も払わずに済んだ。〉)
**中国**。
**1912年、中華民国**。
(——**ただし、旧暦も、生き続けている**。
**春節は、いまも、旧暦で祝う**。)
**残ったもの**。
**いま、世界の民事暦は、ほぼこれである**。
(——**イランとアフガニスタンは、太陽ヒジュラ暦**。
**エチオピアは、独自の暦**(いま2010年代である)。
**そして、宗教の暦は、それぞれ別に、生きている**。)
**次のずれ**。
(**約3,300年後**。
——**それまでに、誰かが、決めるだろう**。)