概要
1604年、イングランド王ジェームズ1世は、国教会の中の対立を収めるため、新しい英語訳の聖書を作ることを認めた。50人ほどの学者が6つの組に分かれ、ヘブライ語とギリシア語の原典と、それまでの英語訳を突き合わせて訳を練った。とくに、異端とされて処刑されたウィリアム・ティンダルの訳から多くを受け継いだ。1611年に出版された「欽定訳聖書」は、声に出して読まれることを意識した、荘重で響きのよい英語で書かれた。その後三百年近く、英語を話す人々が最も多く読む本になり、「地の塩」「目には目を」など多くの言い回しが英語に根づいた。
場所
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド
本文
イングランドでは、14世紀にウィクリフの仲間たちが聖書を英語に訳したが、教会は英語の聖書を禁じた。16世紀のはじめ、ウィリアム・ティンダルは、ルターにならい、ギリシア語とヘブライ語の原典から聖書を英語に訳そうとした。国内では許されず、彼はドイツに渡って1526年に英語の新約聖書を刷り、イングランドに密かに持ち込ませた。ティンダルは異端として捕らえられ、1536年、ベルギーで絞首され、焼かれた。
その後、ヘンリー8世がローマ教会と縁を切ると、英語の聖書は許されるようになり、いくつもの訳が出た。ジュネーヴに逃れたプロテスタントたちが作った「ジュネーヴ聖書」は広く読まれたが、余白に王の権威を疑わせるような注釈がついていて、王や国教会の主教たちには好まれなかった。
1603年、スコットランド王ジェームズ6世が、エリザベス1世の後を継いで、イングランド王ジェームズ1世となった。1604年、王はハンプトン・コート宮殿に国教会の主教と、改革を求めるピューリタンの代表を集めて会議を開いた。そこでピューリタンの側から新しい訳の提案が出され、王はこれを受け入れた。注釈をつけない、教会で読み上げるための聖書を作ることが決められた。
ケンブリッジ、オックスフォード、ウェストミンスターの学者たち50人ほどが、6つの組に分かれて翻訳を担った。彼らは、ヘブライ語とギリシア語の原典を突き合わせ、それまでの英語の訳を比べて、最もよい言い回しを選んだ。新約聖書の言葉の多くは、ティンダルの訳がほぼそのまま受け継がれた。訳の原稿は組ごとに読み上げられ、耳で聞いて美しく響くよう練られた。
1611年、新しい聖書が出版された。「欽定訳聖書」、あるいは王の名をとって「キング・ジェームズ版」と呼ばれる。はじめは評判が分かれたが、やがてジュネーヴ聖書に取って代わり、その後三百年近く、英語を話す世界で最も多く読まれる本になった。その言葉は、教会の礼拝で毎週読み上げられ、家庭で暗唱され、ウィリアム・シェイクスピアの作品と並んで、英語の言い回しの宝庫になった。「地の塩」「目には目を」「愛の労苦」「自分自身が法となる」など、聖書から生まれた表現は、いまも日常の英語に生きている。アメリカの奴隷解放の運動や公民権運動の演説も、この聖書の言葉に深く根ざしていた。