概要
選挙に負けた貴族が、借金に困った者を集めてクーデターを企てた。執政官キケロが元老院で「いつまで我々の忍耐を試すのか」と演説し、共犯者を裁判なしで処刑した。その処刑が、のちに自分を追放させる。
場所
ローマ
41.89°N 12.49°E · イタリア・ラツィオ州
41.89°N 12.49°E · イタリア・ラツィオ州
関わった人(1)
キケロBC106年1月3日–BC43年12月7日 · 執政官本文
ルキウス・セルギウス・カティリナは古い貴族の家の出で、 執政官選挙に二度負けた。 借金に困った貴族、スッラの退役兵、 土地を失った農民を集めた。 借金の帳消しを掲げた。
BC63年、執政官はキケロだった。 騎士身分の出で、貴族ではない「新人」。 情婦を通して計画を知り、 11月8日、元老院でカティリナの目の前で演説した。 「クォ・ウスクェ・タンデム、カティリナ」。 いつまで我々の忍耐を悪用するのか。 カティリナはその夜、ローマを出てエトルリアの軍に合流した。
ローマに残った共犯者は、 ガリアのアッロブロゲス族の使節を仲間にしようとして、 その使節が密告し、手紙が押収された。 12月5日、元老院で処分を論じた。 カエサルは終身の投獄を、小カトーは死刑を主張した。 キケロはその日のうちに、裁判なしで5人を絞殺させた。 「ウィクセルント」(彼らは生きた)と広場で告げた。
カティリナは翌年1月、ピストリアで戦って死んだ。 軍の先頭で、敵の中で見つかった、とサッルスティウスは書く。
キケロは「祖国の父」と呼ばれた。 5年後、クロディウスが「裁判なしにローマ市民を殺した者を追放する」法を通し、 キケロは追放された。 その演説は、いまもラテン語の教科書の最初にある。