新羅の建国(伝承)
概要
6つの村の長が王を求めていると、白い馬が跪いていて紫の卵があり、中から光る子が出た。朴赫居世。瓢箪(朴)に似た卵から。13歳で王に。朴・昔・金の三つの姓が王を交代する国が、三国で最も遅く興り、最後まで残った。
場所
35.86°N 129.22°E · 大韓民国(新羅の都)
関わった人(1)
朴赫居世?–AD4年(伝承) · 建国本文
朝鮮半島の南東の隅、いまの慶州の盆地には、紀元前の時代から小さな村々の集まりがあった。中国の歴史書は、半島の南部に馬韓、辰韓、弁韓という三つの韓の地域があり、それぞれが数十の小国に分かれていたと記す。慶州のあたりは辰韓の一部で、のちの新羅は、その中の斯盧と呼ばれた小国から育ったと考えられている。新羅の始まりを語る話は、高麗の時代、12世紀に金富軾が編んだ『三国史記』と、13世紀に僧の一然がまとめた『三国遺事』に伝えられている。
『三国史記』によれば、昔、この地には朝鮮から逃れてきた人々が谷あいに分かれて住み、六つの村を作っていた。紀元前69年、そのうちの高墟村の長、蘇伐公が、楊山のふもとにある蘿井という泉のそばの林を眺めると、一頭の馬がひざまずいていななく姿が見えた。近寄ってみると馬は消え、大きな卵だけが残っていた。卵を割ると、中から男の子が現れた。蘇伐公はその子を引き取って育てた。『三国遺事』は、村の長たちが集まって、民を治める君主を天に願っていたところ、白い馬が紫色の卵のそばにひざまずいていた、と語り、子を泉で清めると体から光が放たれ、鳥や獣が舞い、天地が震えて日と月が明るく輝いた、と書く。
子は赫居世と名付けられた。世を明るく照らすという意味で、『三国遺事』は、土地の言葉では弗矩内と呼んだと記している。卵がひょうたんのような形をしていたことから、ひょうたんを指す土地の言葉にちなんで朴を姓としたという。紀元前57年、13歳になった赫居世は六つの村の人々に推されて王位につき、居西干と名乗った。国の名は徐那伐といった。のちの新羅の都の名であり、一説に、朝鮮語で都を意味するソウルという言葉の源になったとも言われる。
王妃の閼英もまた、不思議な生まれ方をしたと伝えられる。閼英井という井戸に竜が現れ、その右の脇腹から女の子が生まれた。老女が引き取って育て、井戸の名にちなんで閼英と名付けた。生まれたとき唇が鶏のくちばしのようだったが、川で洗うとそれが取れたという。長じて赫居世の妃となった閼英は、王とともに国をめぐって農業と養蚕を勧め、人々は二人を二聖と呼んでたたえた。
赫居世は60年あまり国を治めた。『三国遺事』によれば、王は天に昇り、7日後に遺体が五つに分かれて地に落ちた。人々がそれを一つに合わせて葬ろうとすると大蛇が現れて妨げたため、五つのまま別々に葬った。慶州に残る五陵、あるいは蛇陵と呼ばれる墓が、それだとされている。
新羅の王の家は、朴氏だけではなかった。のちに王となる昔脱解は、倭の東北千里の多婆那国の王妃が産んだ卵から生まれ、箱に入れられて海を流れてきたと伝えられ、金氏の祖とされる閼智は、鶏林の森の木にかかった金の箱の中から、白い鶏の鳴き声とともに見つかったという。新羅の初めの時代には、朴、昔、金の三つの家が代わる代わる王を出したとされる。4世紀の後半に奈勿王が立ってからは、金氏が王位を受け継ぐようになった。
こうした話を、そのまま歴史とみる研究者はいない。『三国史記』は、新羅の建国を紀元前57年、高句麗を紀元前37年(高句麗の建国(伝承))、百済を紀元前18年(百済の建国(伝承))とし、新羅を三国で最も古い国としている。しかし、中国の書物や考古学の調べからは、三国のうち新羅が国としてまとまったのは最も遅く、4世紀ごろのことと考えられている。三国を統一した新羅の正統を重んじた後の時代の歴史家が、新羅の歴史を長く古く描いた、とする見方は根強い。『三国史記』を編んだ金富軾自身、新羅の王族の血を引くと伝えられる人物だった。
それでも、建国の話には、古い時代の人々の考え方が映っている。卵から生まれる王、天から降りてくる王、馬や鶏といった動物が神のしるしになる話は、朝鮮半島や北方の諸民族の始祖の伝説に広く見られる。六つの村の長が相談して王を迎えたという筋は、新羅がのちまで、有力な家々の合議を重んじる国だったことと響き合う。新羅が独特の身分の制度を持っていたことも(新羅の骨品制)、そうした成り立ちと無関係ではないのかもしれない。
慶州には、赫居世が生まれたとされる蘿井の跡が残っている。21世紀のはじめに行われた発掘では、そこに八角形の建物の跡が見つかり、古い時代に始祖を祭る場所だったことが確かめられた。新羅は、その後、唐と結んで百済と高句麗を滅ぼし(新羅の朝鮮半島統一)、935年に最後の王が高麗に降るまで続いた。伝承の数え方に従えば、千年近く続いた王朝である。いまも韓国の朴氏の多くは、赫居世を一族の始祖として仰いでいる。