できごと

ティロの速記

Tironian notes
BC63年
重要度 4
フィン・ウゴル系タイガの狩猟採集民ローマパルティアスキタイサーミサルマタイプトレマイオス朝小国群ガリア諸部族メロエケルト系の人びとヌミディアPlain-Pottery cultureダキア人マウレタニアBrushed Pottery cultureカタバーンBell-shaped burials cultureMaanナバテア王国Milograd cultureハドラマウトEastern Masurian cultureボスポロス王国ブレンミュエスサバア王国Pomeranian cultureBC63年ローマ
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているBC63年の版図を描いています(27勢力)。

概要

話す速さで書き取る方法である。キケロの解放奴隷マルクス・トゥッリウス・ティロが体系を作ったとされる。プルタルコスは、カティリナ弾劾に続く元老院の討論で、カトーの演説をこの方法で記録させたのが最初だと書く。約4,000の記号から始まり、中世には13,000にまで膨れた。ローマ帝国の元老院と裁判の記録は、これで取られた。中世の修道院でも使われ、そしてカロリング朝の後に廃れた。ただし ⁊ の記号だけは、アイルランド語の表記に、いまも残っている。

場所

ローマ
41.89°N 12.49°E · イタリア・ラツィオ州

関わった人(1)

マルクス・トゥッリウス・ティロBC103年頃–BC4年頃 · 体系を作った

本文

元老院で人が話す。それを記録したい。しかし普通の文字で書いていては、とても追いつかない。人は1分間に100語を優に超える速さで話すが、手で一字ずつ書けば、その何分の一しか書けない。話す速さで書き取るには、別の文字が要った。

その体系を作ったとされるのが、マルクス・トゥッリウス・ティロである(マルクス・トゥッリウス・ティロ)。彼は弁論家キケロの家の奴隷として生まれた。生まれは紀元前103年頃とする説があるが、確かではない。紀元前53年に解放され、ローマの習わしに従って元の主人の名を名乗った。だから彼の名は、主人キケロと同じ「マルクス・トゥッリウス」である。ティロはキケロの秘書であり、口述を書き取る書記であり、原稿の校正者であり、相談相手でもあった。キケロの手紙を集めた書簡集には、ティロに宛てた手紙が一巻にまとめられている。その調子は、主人が奴隷に向けるものとは思えない。病に倒れたティロの体を気づかい、無理をするな、お前の健康が自分にとってどれほど大切か、と繰り返し書いている。キケロの弟クィントゥスも、兄がティロを解放したことを喜ぶ手紙を書いた。

この方法が初めて使われた場面を、2世紀のギリシア人著述家プルタルコスが伝えている。紀元前63年12月5日、カティリナの陰謀に加わった者たちの処分をめぐって、元老院で討論が行われた。執政官だったキケロは、あらかじめ議場のあちこちに書記たちを配置していた。彼らは、わずかな短い印で多くの文字の意味を表す方法を教え込まれていた。小カトーが死刑を求めて行った演説は、こうして記録された。プルタルコスは、これが速記者の最初の例だと伝えられている、と書いている。ただしプルタルコスは200年近く後の人で、この話がそのまま史実かどうかは確かめられない。それでも、この時期に元老院の議事が体系的に記録され始めたことは、ほかの史料とも合っている。紀元前59年には、カエサルが元老院と民会の議事を公表させている。

カティリナの陰謀に関わる図版:Cicero Denounces Catiline in the Roman Senate by Cesare Maccari
カティリナの陰謀Wikimedia Commons Cesare Maccari · Public domain

ティロ式の記号は、音を一つずつ書くのではなく、語を一つの形で書く仕組みだった。基本の記号が語の幹を表し、その周りに付ける小さな印が語尾の変化や時制を表す。よく使う語や決まり文句には、専用の記号があった。記号の数は初め4000ほどだったとされ、後の時代に増え続けて、中世には1万3000を超えた。覚えるのに何年もかかるので、使いこなす者は専門の職業になった。

ローマ帝国の時代を通じて、この記号は使われ続けた。元老院の議事録、裁判の記録、皇帝の口述。こうした仕事を受け持つ書記は「ノタリウス」と呼ばれた。もとは速記者を意味したこの言葉が、のちに公証人を表す言葉の語源になる。キリスト教の時代になると、教父たちの説教や公会議の議事もこの方法で記録された。アウグスティヌスの説教の多くは、話されたものを速記者が書き取り、あとで整えたものである。そのため、彼が机で書いた著作とは口調が違い、聴衆に語りかける声がそのまま残っている。

アイルランドのパーキングチケット表示。ティロの速記('et': 「そして」)が使われている。
アイルランドのパーキングチケット表示。ティロの速記('et': 「そして」)が使われている。Wikimedia Commons Kaihsu Tai · Public domain

中世には、カロリング朝の学問の復興の中で、古い記号を集めた辞典が作られ、修道院の写字室で注釈や略記に使われた。しかし11世紀ごろから、しだいに使われなくなっていった。記号が読める人が減り、写本の中の速記は、後の世代にはただの謎の印になった。暗号のように見えることから魔術と結びつけて警戒された、という説もあるが、確かな証拠は無い。

ただ一つ、生き残った記号がある。数字の7に似た形の「⁊」で、ラテン語の「そして」を表すティロ式の記号である。これはアイルランドの写本の伝統の中で使われ続け、いまもアイルランド語の表記で「そして」を表す記号として生きている。アイルランドの道路標識では、地名を二つ並べるとき、その間にこの記号が置かれていることがある。2000年前のローマの速記の一字が、アイルランドの道ばたに立っているのである。この記号はいまではコンピューターの文字の一覧にも収められている。

詩篇68篇に見られるティロ式速記
詩篇68篇に見られるティロ式速記Wikimedia Commons unknown (9th century) · Public domain

話された言葉を、その場で文字にする。この技術が、議会と裁判と、そして歴史の記録を変えた。下書きされた原稿ではなく、実際に話されたことが残るようになったからである。キケロの演説の多くは、本人があとで手を入れて整えた版で伝わっている。しかしその土台には、ティロたちが議場で書き取ったものがあった。ティロ自身は長生きし、紀元前4年頃、100歳近くで死んだと伝えられる。彼はキケロの書簡や演説を集めて世に出すことにも力を尽くしたとされ、私たちがキケロを読めるのは、この解放奴隷のおかげでもある。速記の技術はその後長い眠りに入り、19世紀にアイザック・ピットマンが音を写す新しい方式を作って、ふたたび広く使われるようになる(ピットマン式速記)。

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