ヒュファシス川の兵の拒否
概要
8年歩いた兵が、これ以上東へ行かないと言った。王は3日天幕に籠もり、折れた。遠征の東端がここになる。帰りは砂漠を通り、兵の多くを失った。
場所
31.20°N 75.00°E · インド・パンジャーブ州
関わった人(1)
アレクサンドロス3世BC356年7月20日(21日説あり)–BC323年6月10日(11日説あり) · 折れた側本文
紀元前334年の春、22歳のマケドニア王アレクサンドロス3世は、ヘレスポントスを渡ってアジアに入った(アレクサンドロスの東方遠征)。グラニコス、イッソス、ガウガメラの戦いと勝ち続け、ペルシアの大王の帝国を丸ごと手に入れた。それでも止まらなかった。中央アジアの山地で3年戦い、ヒンドゥークシュを越えて、紀元前327年にはインダス川の流域に入る。
紀元前326年の春、パンジャーブのヒュダスペス川で、王ポロスの軍と戦象を破った(ヒュダスペス川の戦い)。敗れたポロスに、どう扱われたいかと尋ね、「王として」と答えられて領土を返した、という話が伝わる。アレクサンドロスは勝利を記念して二つの町を建て、愛馬ブケファラスがこのころ死ぬと、その名を町の一つにつけた。

そして、さらに東へ進んだ。ちょうど雨季が始まっていた。ギリシアの記録は、70日にわたって雨が降り続いたと書く。地中海の乾いた夏しか知らない兵たちにとって、それは経験したことのない天気だった。武器は錆び、革は腐り、服は擦り切れて、インドの布をまとうしかなかった。蛇がテントに入り込み、川は増水し、行軍のたびに泥に足を取られた。
ヒュファシス川、いまのベアス川の岸にたどり着いたとき、兵たちの足が止まった。川の向こうには、さらに砂漠があり、その先にガンジスの大河があり、そこを治める王は、何万もの兵と何千頭もの戦象を持っていると聞かされていた。ガンジスの流域を治めていたナンダ朝のことだと考えられている。どこまで行けば、この戦いは終わるのか。

マケドニアを出てから8年。兵たちは、出発のときには若者だった者も、すでに中年になっていた。仲間の多くは戦いや病で死に、生き残った者の体には傷が重なっていた。手に入れた財宝も、故郷へ持ち帰らなければ意味がない。陣営のあちこちで、兵たちが集まって不満を語り合うようになった。
アレクサンドロスは、将校たちを集めて演説した。歴史家アッリアノスの伝えるところでは、大地の果てを取り囲む海はもう遠くない、ここで引き返せば、征服した民はまた背く、労苦の先には栄光がある、と説いたという。だが、誰も答えなかった。長い沈黙が続いた。

やがて、古参の将コイノスが進み出た。ガウガメラ以来、何度も前線で戦ってきた男だった。彼は、兵たちを代弁して語った。故郷に帰りたいと願う兵たちの気持ち、失われた仲間たちのこと。まず故郷に戻り、新しい若い兵を連れて、また遠征に出ればよい。そして最後に、王よ、成功のさなかにあって節度を保つことこそ、最も美しい、と述べたと伝えられる。将校たちは涙を流して、この言葉に賛同した。
アレクサンドロスは怒って席を立ち、天幕に籠もった。3日のあいだ、誰にも会わなかった。兵たちの心が変わるのを待ったのだろう。だが陣営は静まりかえったままだった。4日目、王は川を渡るための犠牲を捧げさせた。占いの結果は不吉と出た。王はそれを受け入れ、引き返すと告げた。兵たちは歓声を上げ、王の天幕に押し寄せて、王が負けたのは自分たち兵士にだけだ、と叫んだという。

アレクサンドロスは、川の岸に、12の巨大な祭壇を築かせた。オリュンポスの12の神々への感謝の印であり、自分がここまで来たという印でもあった。一説には、後世の人を驚かせるために、実際より大きな陣営や馬具の跡まで作らせたともいう。祭壇の場所は、いまでは分からなくなっている。遠征の東端は、ここになった。
コイノスはそれからまもなく、病で死んだ。帰り道は、まっすぐではなかった。アレクサンドロスは艦隊を作らせてインダス川を海まで下り、途中の町々を攻めた。ある町の城壁を真っ先に乗り越えた王は、胸に矢を受けて生死の境をさまよっている。

インダスの河口から、軍は三手に分かれた。一隊は船で海岸に沿ってペルシア湾へ向かい、王の本隊は、いまのパキスタン南西部、ゲドロシアの砂漠を通って西へ戻った。60日ほどの行軍で、水と食料が尽き、鉄砲水に宿営を流され、兵と、従っていた女や子どもの多くが死んだ。その数は記録によって大きく違うが、遠征の全体を通じて最大の損失だったとされる。なぜこの困難な道を選んだのかは、補給の船を支えるためだったという説と、かつて誰も渡れなかった砂漠を渡ってみせたかったという説がある。
紀元前324年、軍はペルシアの都スサに戻った。翌年、アレクサンドロスはバビロンで、次の遠征の準備のさなかに熱病で死ぬ(アレクサンドロスの死)。32歳だった。マケドニアの兵が退いたあとのインドでは、まもなくチャンドラグプタがナンダ朝を倒し、インドで最初の大帝国を築く(マウリヤ朝の成立)。