マイモニデス『迷える者の手引き』

概要
コルドバ生まれのユダヤ人医師が、サラディンの宮廷に仕えながら、アリストテレスと聖書を合わせる本をアラビア語で書いた。ユダヤ教の中で焼かれ、トマス・アクィナスに読まれた。
場所
30.04°N 31.24°E · エジプト
関わった人(1)
マイモニデスAD1138年–AD1204年 · 著者本文
著者のマイモニデスは、1138年ごろイベリア半島のコルドバで、ユダヤ教の学者の家に生まれた。10歳のころ、北アフリカから来たムワッヒド朝がこの地を取り、ユダヤ教徒とキリスト教徒に改宗か退去かを迫った。一家は南スペインと北アフリカのフェスを転々とし、パレスティナを経て、1160年代の終わりにエジプトのフスタート(いまのカイロの旧市街)に落ち着いた。マイモニデスはそこで医師として名を上げ、サラディンの宰相カーディー・ファーディルに仕え、のちにはサラディンの息子の侍医にもなった。昼は宮廷で診察し、夕方に帰ると門の前に患者が列をなしていた、と本人が手紙に書いている。
医師の仕事のかたわら、マイモニデスはユダヤ教の律法をすべて整理した大部の法典『ミシュネー・トーラー』をヘブライ語で書き上げた。律法の学者として頂点に立った人が、次に取り組んだのが、聖書を読んで哲学を学んだ者が抱く迷いだった。それが『迷える者の手引き』である。原文はアラビア語で、ヘブライ文字で書かれた。題は『ダラーラト・アル・ハーイリーン』。遠くへ去った弟子のヨセフ・ベン・ユダに宛てて、少しずつ書き送る形をとっている。成ったのは1190年ごろとされる。

本は三部に分かれ、全体で百数十の章からなる。第三部の終わり近くに、マイモニデスは宮殿のたとえを置いている。王が宮殿の奥にいる。都の外にいて宮殿に背を向けている人々がいる。都の中にいながら宮殿を見たこともない人々がいる。宮殿の周りを回るだけで門を見つけられない人々、門の中に入って控えの間にとどまる人々がいる。律法を守るだけの人は門の外を回っており、自然学と形而上学を学んだ人だけが王の間に入れる、と彼は書いた。律法の大家が、信仰の完成は哲学の理解にあると言い切ったのである。この一節は、のちに賛成する側にも反対する側にも、この本の性格を最もよく表すものとして読まれた。
迷いの中心は、聖書の言葉づかいにあった。「神の手」「神が怒る」「神が座す」。神をそのまま人の姿で思い描くなら、アリストテレスの哲学が教える、体を持たない唯一の原因としての神と合わない。マイモニデスは、こうした表現はすべて比喩だと説いた。神について肯定的に言えることは何もなく、「〜ではない」と否定を重ねることでしか神に近づけない。いわゆる否定神学である。ただし、アリストテレスがいう世界の永遠性だけは受け入れなかった。世界は創られた。それは理性で証明できないが、理性で否定もできない。そうであれば、聖書の言うほうを取る、という立場だった。

後半では、預言を、想像力と知性が最高度に働いたときに起きる自然の現象として説明した。さらに、律法の一つ一つに理由を探した。動物の犠牲の儀式は、偶像崇拝に慣れた民を一度に引き離すことはできないので、神が段階を踏んで譲歩したものだ、という説明はとくに知られる。書き方そのものもわざと分かりにくくしてあり、本人が序文で、未熟な読者には読み解けないように、矛盾をあえて散らしたと断っている。
本はまもなく、マイモニデスと手紙を交わしながらサムエル・イブン・ティッボンがヘブライ語に訳し、ヨーロッパのユダヤ人のあいだに広がった。歓迎ばかりではなかった。信仰を哲学に売り渡す本だという反発が南フランスとスペインで強まり、共同体が賛否に割れた。1230年代のはじめには、モンペリエで反対派がドミニコ会の異端審問に訴え、マイモニデスの著作が焼かれたと伝えられる。ユダヤ教の内側の争いに、キリスト教の側の権力を呼び込んだことは、のちに深い傷として記憶された。

同じころ、本はラテン語にも訳された。パリの神学者たちはこれを、聖書とアリストテレスをどう合わせるかの先例として読んだ。トマス・アクィナスは「ラビ・モーセ」の名で何度も引用し、世界の始まりは理性では決められないという論じ方も受け継いでいる。イスラームの側では、同じ時代にイブン・ルシュドがアリストテレスの注釈を書いていた。三つの宗教の学者が、一人の古代ギリシアの哲学者を軸に、それぞれの聖典を読み直していたことになる。
マイモニデスは1204年にフスタートで死んだ。墓はガリラヤ湖畔のティベリアにあると伝えられる。17世紀のアムステルダムでは、バールーフ・スピノザがこの本を読み込み、聖書を比喩で読み替える手法を批判した。聖書を哲学に合わせて読むのではなく、聖書をその書かれた時代の書物として読むべきだ、という方向へ、スピノザはさらに進んだ。マイモニデスを手がかりに、マイモニデスの先へ出たのである。