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Event / できごと

食糧管理法

Food Control Act (Japan)
AD1942年2月21日
重要度 3
大英帝国ソビエト連邦中国の軍閥イギリス領インド帝国モンゴルチベット日本シャムフランス領インドシナラオスフィリピンカンボジアコーチシナAD1942年2月21日東京
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1942年2月21日の版図を描いています(13勢力)。

概要

1942年2月、戦争のさなかの日本で、米や麦を国が生産者から買い上げ、配給で国民に渡す法律ができた。食糧管理法である。農家は決められた量を国に売らなければならず、町の人々は通帳を持って配給所で米を受け取った。量は一人一日二合三勺と決められたが、戦争の末期から戦後にかけては、それも届かないことが多かった。戦後も法律は残り、国は米を農家から高く買って消費者に安く売った。その赤字と米の余りが、のちの減反につながる。法律が廃止されたのは、1995年である。

場所

東京
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都

本文

日中戦争が長引くと、日本では米が足りなくなった。兵士に食べさせる米が要り、農村からは働き手が兵隊に取られ、朝鮮や台湾から運ぶ米も船が足りずに届かなくなる。1939年には米の値段を国が決め、1941年4月には、東京や大阪などの大きな町で、米を通帳で配る配給が始まった。量は、大人一人一日二合三勺である。

1942年2月21日、食糧管理法が公布された。米や麦を作った農家は、自分の家で食べる分を除いて、すべてを国に売らなければならない。国はそれを配給で国民に割り当てる。米の取引は、国の手に一本化された。自由に米を売り買いすることは、闇の取引として罰せられた。

戦争の末期から戦後の数年は、配給は遅れ、量も減り、米の代わりに芋やとうもろこしや大豆のかすが配られた。配給だけで暮らせば飢える。人々は着物を持って農村へ買い出しに行き、闇市で米を買った。1947年、闇の米を拒んで配給だけで暮らした裁判官の山口良忠が、栄養失調で亡くなっている。

戦後、食糧が足りるようになったあとも、法律は残った。国は、農家から米を高く買い、消費者には安く売って、農家の暮らしを支えた。その差は国の赤字になり、作りすぎた米は倉庫に積み上がって、減反政策につながる。1995年に法律は廃止され、米は自由に売り買いできるようになった。

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