できごと

『百科全書』

Encyclopédie
1751年 – 1772年
期間を持つできごと重要度 4
『百科全書』に関わる図版:Encyclopedie de D'Alembert et Diderot - Premiere Page - ENC 1-NA5
Encyclopedie de D'Alembert et Diderot - Premiere Page - ENC 1-NA5 Wikimedia Commons Long List of Contributors to the Encyclopédie · Public domain

概要

20年かけて全28巻。知識を教会と王の手から取り上げて並べ直す仕事で、たびたび発禁になっている。

場所

パリ
48.86°N 2.35°E · フランス

関わった人(1)

ドゥニ・ディドロAD1713年10月5日–AD1784年7月31日 · 編纂

本文

1751年、パリで大きな本の第1巻が出た。題は『百科全書、あるいは科学・芸術・技術の合理的辞典』。それから20年あまりをかけて、本文17巻と図版11巻、あわせて28巻が刊行された。項目の数は7万を超える。

始まりは、ありふれた翻訳の仕事だった。パリの出版業者ル・ブルトンは、イギリスで評判になっていた二巻の百科事典をフランス語に訳して売ろうと考えた。訳者が何人か替わったあと、1747年、編集を任されたのが、30代の文筆家ドゥニ・ディドロと、数学者として名高いダランベールだった。二人は、訳すだけではなく、まったく新しい書物を作ることにした。

ポンパドゥール夫人(モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール、1755年、ルーヴル美術館蔵)
ポンパドゥール夫人(モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール、1755年、ルーヴル美術館蔵)Wikimedia Commons Maurice Quentin de La Tour · Public domain

1751年の第1巻の冒頭に、ダランベールは長い序論を書いた。人間の知識は、記憶、理性、想像という三つの働きから生まれ、それぞれ歴史、哲学、芸術に枝分かれする。フランシス・ベーコンの考えを下敷きにした知識の系統樹が、図として添えられた。神学は、哲学の一つの枝として置かれた。知識の頂点に立つのではなく、理性が扱う分野の一つになったのである。

『百科全書』が新しかったのは、まず扱う対象の広さだった。神学や哲学、数学や自然科学だけでなく、鍛冶、製紙、時計づくり、織物、ガラス、印刷といった職人の技を、詳しい説明と精密な図版で載せた。ディドロ自身、刃物職人の息子だった。彼はパリの工房を訪ね歩き、職人に仕事を見せてもらい、道具の名前と手順を聞き取った。それまで学問の書物に載る値打ちがあるとはみなされていなかった手の仕事が、知識として並べられた。図版の巻は、いまも18世紀の産業の姿を伝える史料になっている。

ドゥニ・ディドロ
ドゥニ・ディドロWikimedia Commons Unknown author Unknown author · Public domain

執筆者は百数十人にのぼった。ヴォルテール、ジャン=ジャック・ルソー、モンテスキューも項目を書いている。ルソーは音楽の項目を受け持った。最も多く書いたのはジョクールという貴族で、一人で1万数千の項目を書いたとされる。

項目は、アルファベット順に並べられた。この並べ方には、思わぬ効果があった。神についての項目が、ありふれた道具の項目の隣に来る。王の項目と農民の項目が、同じ重さで並ぶ。教会や王の権威を頂点とする知識の序列が、文字の順番の前に消えた。

『百科全書』(1772年)の口絵の一部。シャルル=ニコラ・コシャン画、ボナヴァンチュール=ルイ・プレヴォ彫版
『百科全書』(1772年)の口絵の一部。シャルル=ニコラ・コシャン画、ボナヴァンチュール=ルイ・プレヴォ彫版Wikimedia Commons Public domain

当局の検閲を受けるため、教会や王を正面から批判することはできなかった。代わりに編者たちは、項目の終わりに付ける「参照」を使った。たとえば、人食いの風習を説明した項目の終わりに、キリスト教の聖餐の項目を見よ、と添える。読者はそこで、二つを並べて考えることになる。ディドロは、こうした参照が、人々の考え方を変えるために使えると書いている。

当局は、この本の危うさに気づいた。1752年、執筆者の一人の神学論文が騒ぎになったことをきっかけに、最初の2巻が発売を禁じられた。1759年には、出版の許可そのものが取り消され、ローマ教皇も本を禁じた。ダランベールはこの前後に編集から手を引き、ディドロは一人で仕事を続けることになった。ディドロはすでに1749年、無神論的だとされた著作のために、パリ郊外の城に数か月閉じ込められたことがあった。

『百科全書』の知識体系図。記憶・理性・想像力の3部門に知識を分類した
『百科全書』の知識体系図。記憶・理性・想像力の3部門に知識を分類したWikimedia Commons See en:List of contributors to the Encyclopédie · Public domain

それでも本は止まらなかった。書籍の取り締まりを担当する役人マルゼルブ自身がこの事業に好意的で、手入れの前に知らせ、原稿を自宅に隠させたと伝えられる。本文の残りの10巻は、許可の無いまま秘密のうちに印刷が進められ、1765年に、外国で刷られたという体裁でまとめて配られた。図版の巻は、許可を得て別に出された。

ディドロにとって最も大きな打撃は、身内から来た。1764年、刷り上がった巻を読んだディドロは、出版業者のル・ブルトンが、当局を恐れて、彼に黙って原稿の大胆な箇所を削っていたことを知った。ディドロは激しく怒ったが、仕事を投げ出しはしなかった。

ルイ=ミシェル・ヴァンロー画、ディドロの肖像
ドゥニ・ディドロWikimedia Commons Unknown author Unknown author · Public domain

予約して買った人は4000人を超えた。高価な本で、買えたのは貴族、聖職者、役人、裕福な商人や法律家たちだった。その後、より安い版が各地で作られ、フランスの外にも広く出回った。

『百科全書』がフランス革命を起こしたわけではない。だが、知識は誰か一人の権威が独占するものではなく、理性で確かめ、整理し、誰もが使えるように並べるものだ、という考えを、これほど大きな形で示した書物は無かった。人間の知識の全体を一つの書物にまとめるという試みは、その後の百科事典に受け継がれ、いまはインターネット上の百科事典へとつながっている。

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