ホガース『放蕩一代記』
概要
8枚の絵と版画。遺産を継いだ若者が、放蕩し、娼婦と、賭博と、監獄と、精神病院ベドラムで裸で終わる。「近代的な道徳の主題」。版画は安く、海賊版が出て、ホガースは議会に版画の著作権法を作らせた(1735年、「ホガース法」)。ロンドンの街の顔。ジン横丁。絵で語る物語。漫画の祖父。
場所
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド
関わった人(1)
ウィリアム・ホガースAD1697年11月10日–AD1764年10月26日 · 描いた本文
18世紀の初めのイギリスで、画家が最も高く評価されるのは歴史画、つまり神話や聖書や古代の英雄を描く絵だった。その次が肖像画で、金持ちの顔を描けば食べていける。ロンドンの版画屋に並ぶのは、イタリアやフランスの名画を写した版画である。ウィリアム・ホガースは、銀細工の彫り師の徒弟から身を起こした画家で、この序列が気に入らなかった。描きたかったのは、いまのロンドンで、いまの人々が身を持ち崩していく姿だった。
最初に当てたのは1732年の『娼婦一代記』である。田舎から出て来た娘モル・ハッカバウトが、着いたその日に女衒に目をつけられ、商人の囲い者になり、街の娼婦になり、矯正院で麻を打たされ、梅毒で若くして死ぬ。6枚の版画は予約で千組を超えて売れた。売れると、すぐに安い海賊版が何種類も出回った。版画を彫り直すのはたやすく、写しを止める法はなかった。

ホガースは、次の連作を準備しながら、仲間の版画家たちと議会に働きかけた。書物には1710年から著作者の権利があったが(書いた人の権利)、絵の版画には無かったからである。1735年、版画の考案者に14年の独占を認める法が成立し、「ホガース法」と呼ばれた。ホガースは、この法が効力を持つのを待って、6月25日に新しい連作の版画を売り出した。それが『放蕩一代記』である。元になった油彩の8枚は1733年から34年にかけて描かれ、いまはロンドンのサー・ジョン・ソーンズ美術館にある。
物語は8つの場面で進む。1枚目、トム・レイクウェルは、けちな父の死で大きな財産を継ぐ。仕立屋が喪服の寸法を取るかたわらで、トムが結婚を約束して身ごもらせた娘サラ・ヤングが母親と訪ねて来る。トムは金を握らせて追い払う。2枚目、朝の接見。音楽の教師、ダンスの教師、剣術の教師、造園家、用心棒が、新しい金づるを囲んで売り込む。3枚目は酒場の乱痴気騒ぎで、娼婦たちが酔いつぶれたトムの時計を抜き取っている。

4枚目、着飾って宮殿へ向かう途中、トムは借金で捕まる。身請けの金を差し出すのは、捨てられたサラである。5枚目、金に困ったトムは、財産目当てに片目の老女と結婚する。教会の奥では、サラが子を抱いて式を止めようとし、追い返されている。6枚目は賭博場で、トムは残りを全部すり、かつらを放り出して天を仰ぐ。誰も気づかないうちに、部屋の奥から煙が上がっている。
7枚目は債務者の監獄である。妻が罵り、サラが気を失い、トムは借金を返すために書いた芝居の原稿を、劇場の支配人に突き返されている。8枚目、トムは精神病院ベドラムで、ほとんど裸で鎖につながれている。そばで泣いているのはまたもサラで、その後ろでは着飾った二人の婦人が、扇の陰から狂人を眺めている。当時のベドラムは、見物人を入れていたのである。

ホガースは、のちに書き残した覚え書きで、自分は劇作家のように主題を扱おうとした、絵が舞台で、男と女が役者だ、と述べている。言葉なしで、連続する絵で筋を語る。細部には読み解くための小道具が詰め込まれ、見る人は一枚ずつ時間をかけて謎を解いた。ホガース自身はこれを「近代的な道徳の主題」と呼んだ。神話の英雄ではなく、同じ時代の、同じ街の人間を主役にした点で、イギリスの絵画の中でも新しかった。
版画の値段は一組2ギニーで、職人には高いが、中流の商人なら手が届いた。油彩は一点ものとして金持ちが買い、版画は数で稼ぐ。画家が貴族の注文に頼らず、市場の買い手を相手に暮らしを立てる道を、ホガースは法の後ろ盾つきで開いた。その後も『当世風結婚』(1743〜45年)、『勤勉と怠惰』(1747年)、安いジンに溺れる街を描いた『ジン横丁』(1751年)と、連作は続いた。

200年後、イーゴリ・ストラヴィンスキーはシカゴでこの版画を見て、オペラにしようと考えた。台本は詩人のオーデンとチェスター・カルマンが書き、『放蕩者のなりゆき』は1951年にヴェネツィアで初演された。オペラでは、トムを誘う悪魔ニック・シャドウが加わり、捨てられた娘はアン・トゥルーラヴという名になっている。物語を連続する絵で語るやり方は、のちの風刺画や漫画の遠い祖先とされることが多い。