キュニョーの砲車
概要
フランス陸軍の技術者キュニョーが大砲を運ぶために作った蒸気の三輪車。自分の力で走った最初の実物大の車で、最初の自動車とされる。
場所
48.86°N 2.35°E · フランス
本文
ニコラ=ジョゼフ・キュニョーは1725年、フランス東部ロレーヌ地方のヴォワ=ヴァコンに生まれ、陸軍の技術者として訓練を受けた。18世紀の戦場で重い大砲を動かすのは馬の仕事で、砲身を運ぶにはファルディエと呼ばれる頑丈な二輪の荷車を何頭もの馬に引かせていた。キュニョーは1765年ごろから、蒸気の力で大砲を運ぶ車の模型を作り始めた。フランスは七年戦争でイギリスとプロイセンに敗れたばかりで、陸軍は砲兵の改革を急いでいた。キュニョーの研究は、陸軍大臣ショワズール公の後押しを受けたとされる。ファルディエはもともと、砲身や石材のような重い物を運ぶための大きな二輪の荷車の呼び名で、キュニョーの車はその馬を蒸気の機関に置き換えたものだった。人を乗せるための車ではなく、あくまで軍の荷車として考えられていた点が、のちの自動車とは違う。
蒸気機関そのものは、すでにイギリスで炭鉱の水をくみ出すために使われていた(ニューコメンの蒸気機関)。しかしそれは建物に据えつける大きな機械で、往復するピストンの動きを車輪の回転に変える仕組みも十分ではなかった。キュニョーは、ピストンの往復を爪車(ラチェット)で車輪の回転に変える工夫を取り入れ、機関を車の上に載せた。
1769年、小型の試作車が作られて走った。これが「ファルディエ・ア・ヴァプール」(蒸気の砲車)である。翌1770年には実物大の車が完成した。車輪は前に1つ、後ろに2つの三輪で、ふつうなら馬がいる前の部分に大きなボイラーと2本のシリンダーを載せ、前輪だけを回して走らせた。かじ取りもこの前の部分ごと動かして行った。車の重さは空でおよそ2.5トンあり、4トンの荷を積んで1時間に約7.8キロ進むことが求められていた。
実際の性能は、その求めに届かなかった。重いボイラーが前輪の上にあるため安定が悪く、でこぼこの道や坂を行く軍用の車としては大きな欠点だった。ボイラーの力も弱く、15分ほど走るたびに火をおこし直して蒸気をためなければならなかった。試走はパリとヴァンセンヌの間やムードンで何度か行われたと伝えられるが、陸軍はやがて計画を打ち切った。
この車がパリの兵器廠の壁にぶつかって壊し、史上初の自動車事故になったという話が広く知られている。ただしこの話は当時の記録には無く、事故から30年あまり後の1804年に初めて現れたもので、確かなことは分からない。キュニョーが危険な運転で罰せられたという話も、同じく伝承の域を出ない。
計画は失敗に終わったが、国王ルイ15世は1772年、キュニョーの功績に年600リーヴルの年金を与え、車は兵器廠に保管された。フランス革命が起きると年金は止められ、キュニョーはブリュッセルに移って貧しく暮らした。晩年にナポレオン・ボナパルトが年金を戻し、キュニョーはパリに戻って1804年に亡くなった。車は1800年に国立工芸院に移され、いまもパリの工芸博物館で見ることができる。

キュニョーの車は、人や馬の力を借りずに自分で道を走った最初の実物大の乗り物とされ、自動車の始まりとして語られる。同じ1769年にはイギリスでジェームズ・ワットが改良した蒸気機関の特許を取っており(ワットの蒸気機関)、蒸気の力が工場と乗り物の両方へ広がっていく出発点の年になった。ただ、蒸気の車はその後も重く扱いにくく、道を走る車が広まるのは、ガソリンで走る軽い機関が生まれる19世紀の終わり(ガソリンで走る車)を待たなければならなかった。2010年にはパリの工科学校の学生たちが複製を作り、実際に走ることを確かめている。