できごと

ボエティウス『哲学の慰め』

The Consolation of Philosophy
AD524年
重要度 4
ボエティウス『哲学の慰め』に関わる図版:Boethius, Consolatio philosophiae (French)
Boethius, Consolatio philosophiae (French) Wikimedia Commons Boethius · Public domain

概要

死刑を待つ牢で書いた。運命の車輪は回り、本当の幸福は失われないものの中にある、と。中世を通じて最もよく読まれた本の一冊になる。

場所

パヴィア
45.19°N 9.16°E · イタリア

関わった人(1)

ボエティウスAD480年頃–AD524年 · 著者

本文

ボエティウスは480年ごろ、ローマの名門アニキウス家に生まれた。西ローマの最後の皇帝が退けられてから数年後のことになる。父は執政官を務めた人だったが早くに亡くなり、少年は元老院の長老シュンマクスに引き取られて育ち、のちにその娘と結婚した。教養ある貴族の家で、彼は当時の西方では珍しくなっていたギリシア語を身につけた。

ボエティウスは、東ゴートの王テオドリック大王がイタリアを治める時代に、ローマの貴族として仕えた(テオドリックのイタリア統治)。510年に執政官となり、522年には二人の息子がそろって執政官に任じられた。その祝いの日、ボエティウスは王を称える演説をした。同じ年、宮廷の官房長官という最高位の職に就いている。栄光の頂点だった。

1385年のイタリアの写本の挿絵。ボエティウスの教える姿と(上)、投獄された姿(下)、が描かれている。
1385年のイタリアの写本の挿絵。ボエティウスの教える姿と(上)、投獄された姿(下)、が描かれている。Wikimedia Commons Public domain

だが、彼の本当の仕事は学問だった。西方ではギリシア語を読める人が減り、ギリシアの哲学が忘れられようとしていた。ボエティウスは、プラトンとアリストテレスの著作をすべてラテン語に訳し、注を付け、二人の哲学が根本では一致することを示そうと計画した。実際に訳せたのは、アリストテレスの論理学の書の一部と、その入門書などにとどまった。それでも、中世の西ヨーロッパは12世紀まで、アリストテレスの論理学を、ほとんどボエティウスの訳と注釈だけで学ぶことになる。算術と音楽についての教科書も書き、音楽の本は中世の大学で長く教えられた。

転落は突然だった。523年、元老院議員アルビヌスが、東ローマの皇帝と通じて王に背こうとしたと訴えられた。ボエティウスは王の前で、アルビヌスが罪ありとされるなら、元老院全体も、自分も同じく罪がある、と弁護した。その結果、彼自身が告発された。罪状は反逆の企てと、出世のために魔術を使ったことだった。証拠の手紙は偽造だったと、ボエティウスは本の中で訴えている。

哲学者プロティノスの胸像
哲学者プロティノスの胸像Wikimedia Commons Unknown author Unknown author · Public domain

ボエティウスは北イタリアのパヴィアの近くに幽閉され、遠く離れたローマの元老院が、本人の弁明を聞かずに死刑を決めた。処刑を待つ牢の中で書いたのが、『哲学の慰め』になる。

本は、散文と詩が交互に現れる対話の形で書かれている。嘆きの詩を書いていたボエティウスの前に、一人の女性が現れる。背の高さは人の背丈ほどにも、天に届くほどにも見え、衣の裾にはギリシア文字のΠ、上のほうにはΘが織り込まれ、そのあいだに梯子が描かれていた。実践の学から理論の学へと登る梯子になる。彼女は哲学そのものだった。哲学は、枕元の詩の女神たちを追い払い、病んだ弟子の治療を始める。

運命の女神と運命の輪(ボッカッチョの著作の中世写本より)
運命の女神と運命の輪(ボッカッチョの著作の中世写本より)Wikimedia Commons Public domain

なぜ悪人が栄え、善人が苦しむのか。ボエティウスの問いに、哲学は順を追って答える。運命の女神は車輪を回している。上に行った者は必ず下り、下にいた者は上る。それが運命の本性で、裏切りではない。富も名誉も権力も、失われうるものは、初めから自分のものではなかった。本当の幸福は、外から与えられるものの中には無く、すべての善の源である神の中にある。悪人は栄えて見えても、善から遠ざかることで、実はすでに罰を受けている。

最後の巻は、神が未来を知っていることと、人の自由が両立するのかを問う。哲学の答えは、神は時間の外にいる、というものだった。神にとって、過去も未来も一つの「いま」として見えている。人が目の前の出来事を見ても、その出来事を強いることにはならないように、神が見ていることは人の選択を強いない。永遠とは、終わりのない生命の全体を一度にまるごと持つことだ、という定義は、中世の神学に長く受け継がれた。

ボエティウス『哲学の慰め』写本の飾り文字
ボエティウスWikimedia Commons Public domain

不思議なことに、この本には、キリストも聖書も出てこない。ボエティウスはキリスト教徒で、神学の小論も書いていた。それなのに最期の慰めを、信仰の言葉ではなくギリシアの哲学に求めた。その理由については、いまも議論がある。

524年ごろ、ボエティウスは処刑された。同時代に近い記録によれば、頭を縄で締め上げられた末に、棍棒で打ち殺されたという。翌年には、育ての親で義父のシュンマクスも処刑された。

『哲学の慰め』は、中世を通じて最もよく読まれた本の一つになった。写本は数百が残る。9世紀末にはアルフレッド大王の宮廷で古英語に訳され、14世紀にはジェフリー・チョーサーが英語に訳し、16世紀にはイングランドのエリザベス1世も自ら訳している。ドイツ語にもフランス語にも訳された。運命の車輪の図は、中世の写本や教会の窓に繰り返し描かれた。ダンテ・アリギエーリは『神曲』の天国の篇で、ボエティウスを知恵ある者たちの魂のあいだに置いた。

ボエティウスは、古代の学問を中世へ手渡した人として、「最後のローマ人、最初のスコラ学者」と呼ばれることがある。パヴィアの教会に葬られ、その地では殉教者として敬われた。罪を着せられて死を待つ人が、なお理性で世界を理解しようとした記録として、この本はいまも読まれている。

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