概要
ナポレオンの没落のあと、ウィーン会議は、フランスへの備えとして、いまのベルギーをオランダと一つの王国にまとめた。だが南のカトリックの住民は、北のプロテスタントの王が言葉と宗教と税で押さえつけることに不満を募らせた。1830年8月25日、ブリュッセルの劇場で、圧政への反乱を描くオペラの愛国の歌に沸いた観客が街へ繰り出し、暴動になる。9月の市街戦でオランダ軍は退き、10月に独立が宣言された。翌年、列強はベルギーを永世中立の国として認め、ドイツの小国の公子レオポルドが王になった。
場所
50.85°N 4.35°E · ベルギー
本文
いまのベルギーの地は、中世から豊かな毛織物の町々が並ぶネーデルラントの南の半分だった。16世紀の末、北の州がスペインから離れてオランダとして独立したあとも、南はスペイン、のちにオーストリアのハプスブルク家に残された。フランス革命の戦争でフランスに併合され、ナポレオンの没落を迎える。
ウィーン会議は、フランスが再び北へ出てこないよう、南を北のオランダと合わせて、ネーデルラント連合王国とした。王ウィレム1世は道路や運河を整え、産業を育てたが、南の人々の多くは、自分たちが二級に扱われていると感じた。人口は南が多いのに、官職と軍の上の地位は北が占め、北のオランダ語を公の言葉にしようとし、学校の教育にも口を出した。カトリックの教会と、フランス語を話す自由主義者が、珍しく手を組んだ。
1830年7月、パリで七月革命が起きた。8月25日、ブリュッセルのモネ劇場で、ナポリの漁師の反乱を描いたオペラ『ポルティチの唖娘』が上演された。二重唱「祖国への聖なる愛」に沸いた観客は、劇場から街へ繰り出し、暴動は町じゅうに広がった。9月、王はブリュッセルに軍を送ったが、市街戦で押し返された。10月4日、臨時政府は独立を宣言した。
列強はロンドンで会議を開き、ベルギーを永世中立の国として認めた。王には、イギリス王家と縁の深いドイツの小国の公子レオポルドが選ばれ、1831年、レオポルド1世として即位した。オランダは1839年にようやく独立を認め、列強はロンドン条約でベルギーの中立を保障した。1914年、ドイツがこの中立を破ってベルギーに攻め込んだとき、イギリスはこの条約を理由に参戦する(第一次世界大戦)。ドイツの宰相はこれを「紙切れ一枚」と呼んだ。