メキシコの独立

概要
村の司祭イダルゴが鐘を鳴らして始まり、11年続いた。先住民と混血の人びとの蜂起として始まったが、独立したのは保守派の主導する帝国だった。
場所
19.43°N -99.13°E · メキシコ
関わった人(1)
アグスティン・デ・イトゥルビデAD1783年9月27日–AD1824年7月19日 · 入城した本文
19世紀のはじめ、いまのメキシコはヌエバ・エスパーニャ(新スペイン)と呼ばれる、スペイン帝国の最も豊かな植民地だった。銀の鉱山が本国に富を送り、首都メキシコ市はアメリカ大陸で最大の都市だった。社会は生まれによる序列で分けられていた。上に立つのは本国生まれのスペイン人で、植民地生まれの白人であるクリオーリョは、豊かでも高い役職から締め出されがちだった。その下に、混血のメスティーソや、先住民、アフリカ系の人びとが置かれた。人口の大半は、先住民と混血の人びとだった。
1808年、ナポレオン・ボナパルトがスペインに攻め込み、国王を退位させて、兄を王位につけた。本国の王がいなくなったとき、植民地は誰の命令に従うのか。メキシコ市ではクリオーリョが自治を求める動きを見せたが、本国生まれのスペイン人たちが副王を捕らえる政変を起こして、これを押さえ込んだ。不満は地方へ広がり、ひそかな計画が練られていった。

1810年、ケレタロで練られていた独立の計画が当局に漏れた。仲間から知らせを受けたドロレス村の司祭ミゲル・イダルゴは、待たずに立つことを決めた。9月16日の未明、彼は教会の鐘を鳴らして村人を集め、悪い政府を倒そうと呼びかけた。グアダルーペの聖母万歳、悪政を倒せ、と叫んだと伝えられるが、正確な言葉は分かっていない。この呼びかけは「ドロレスの叫び」と呼ばれる。イダルゴは50代の後半で、先住民の村で養蚕や葡萄づくりを教え、啓蒙思想の本を読む、型破りな司祭だった。
褐色の肌の聖母を描いたグアダルーペの聖母の旗を掲げた軍は、農民や鉱山の労働者を吸い込んで、数万人に膨れ上がった。だが訓練も規律も無い。9月28日、鉱山の町グアナフアトで、スペイン人たちが立てこもった穀物倉が攻め落とされ、中にいた人びとが虐殺された。町は略奪された。この暴力に、多くのクリオーリョは恐れをなして独立の側から離れた。イダルゴの軍は首都に迫りながら引き返し、1811年1月、カルデロン橋の戦いで王党派の軍に大敗した。北へ逃れる途中で裏切られて捕らえられ、7月に銃殺された。イダルゴと仲間の指導者たちの首は、グアナフアトの穀物倉の四隅に鉄の籠に入れて吊るされ、独立の年まで10年近くさらされた。

後を継いだのは、イダルゴの教え子でもあった司祭ホセ・マリア・モレーロスだった。彼は訓練された少数の軍で南部の各地を押さえ、1813年にはチルパンシンゴで議会を開いて独立を宣言した。奴隷制と、生まれによる身分の区別をなくすことも掲げている。だが1815年に捕らえられ、処刑された。
そのあと独立の戦いは、南の山地に残ったビセンテ・ゲレーロらのゲリラに細々と引き継がれ、膠着した。決着をつけたのは、思わぬ人物だった。王党派の将校として反乱の鎮圧で名を上げたアグスティン・デ・イトゥルビデになる。1820年、スペイン本国で自由主義の軍人たちが反乱を起こし、王に1812年の憲法を認めさせた。その憲法は、教会の特権を削り、軍の特権も縮めるものだった。メキシコの教会と地主と軍の保守派は、本国につながっていることのほうが、自分たちの特権を危うくすると考えるようになった。
1821年2月、ゲレーロの討伐を命じられていたイトゥルビデは、逆にゲレーロと手を結び、イグアラ綱領を発表した。カトリックを唯一の宗教とすること、独立すること、本国生まれとアメリカ生まれを平等に扱うこと。三つの保障を掲げた軍には、王党派の部隊が次々に加わった。8月、本国から着いたばかりの新しい副王は、もはや抗えないと見て、独立を認める条約に署名した。9月27日、イトゥルビデは三つの保障の軍を率いてメキシコ市に入り、翌日、独立が宣言された。
最初にできたのは、皇帝を戴く国だった。ヨーロッパの王族を迎える案が実らず、1822年、イトゥルビデ自身がアグスティン1世として皇帝の位に就いた。だが議会と対立し、財政も行き詰まって、翌年には退位に追い込まれ、国を出た。1824年、事情を知らずに戻ったところを捕らえられ、銃殺された。同じ年、メキシコは連邦共和国となる憲法を定めた。

始めたのが農民と村の司祭で、終わらせたのが保守派の軍人だった。独立は、社会の序列をほとんど変えないまま、本国の支配だけを取り除く形で成し遂げられた。独立後の半世紀、メキシコは自由主義派と保守派の争い、軍人の政変、そして米墨戦争による領土の喪失に苦しむ。その対立に一つの区切りがつくのは、フアレスの改革とメキシコ帝国の崩壊の時代になる。いまメキシコでは、イトゥルビデが首都に入った日ではなく、イダルゴが鐘を鳴らした9月16日が、独立記念日として祝われている。