概要
シャルル10世が議会を解散し、出版を禁じ、選挙権を狭める勅令を出した。パリは3日で立った。「栄光の三日間」。バリケード。ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』。シャルルはイギリスへ。オルレアン家のルイ・フィリップが「フランス人の王」。ブルジョワの王政。革命は、王を替えただけだった。ベルギーがオランダから独立し、ポーランドが立って潰された。
場所
48.86°N 2.35°E · フランス
本文
ルイ18世は1814年に憲章を与えて、制限選挙の王政。弟のシャルル10世は1824年に継いで、旧体制に戻そうとした。亡命貴族への補償10億フラン、冒涜罪の死刑、聖職者の教育への介入。1830年3月、下院が「政府は信任されていない」と決議し、王は解散し、7月の選挙で野党が勝った。
7月25日、サン・クルー宮殿で、王は4つの勅令に署名した。出版の自由の停止、新しい下院の解散、選挙権を地主だけに狭める(選挙人の4分の3を失う)、9月に新しい選挙。
7月26日、パリの新聞が、ティエールの起草した抗議を印刷して配った。「政府は合法性を失った」。印刷工が街に出た。27日、警察が新聞社に入り、群衆が立った。28日、バリケード。パリの狭い通りは敷石で塞げた。ノートルダムに三色旗。市庁舎。29日、スイス衛兵がルーヴルとテュイルリーを捨てた。栄光の三日間。死者は民衆800、軍200。
シャルルは勅令を撤回して、遅かった。8月2日、退位して孫を王にするつもりで、イギリスへ。ラファイエット(73歳)が国民衛兵の指揮を取って、市庁舎のバルコニーでオルレアン公ルイ・フィリップを抱いて三色旗を振った。共和制でなく王政。「最良の共和制」とラファイエットは言った。8月9日、「フランス人の王」(「フランスの王」でなく)。ブルジョワの王。傘を持って街を歩いた。
ドラクロワは10月から『民衆を導く自由の女神』を描いた。胸をはだけた女が三色旗を持ち、死体の上を、ブルジョワ(シルクハット)と労働者と少年(ガヴローシュの元)を連れて。1831年のサロンに出て、政府が買って、危険だと倉庫に入れた。
8月、ベルギーがオランダから独立を宣言した。11月、ポーランドがロシアに立って、翌年潰された。ドイツとイタリアの各地で騒ぎ。1830年は、1789年の再演でなく、1848年の予行だった。