概要
1882年、バルセロナで、信者の寄付による贖罪の教会の工事が始まった。翌年、三十一歳のアントニ・ガウディが設計を引き継ぐ。森の木々のように枝分かれする柱、トウモロコシのような塔。ガウディは後半生をこの建物に捧げ、1926年に路面電車にはねられて死んだとき、完成していたのはごく一部だった。スペイン内戦では図面や模型が焼かれる。その後も寄付と入場料で工事が続き、百四十年を超えて、いまも建てられ続けている。
場所
バルセロナ
41.39°N 2.17°E · スペイン・カタルーニャ州
41.39°N 2.17°E · スペイン・カタルーニャ州
本文
贖罪の教会。
1882年、バルセロナ。
(1)信者の寄付による、贖罪の教会の工事が始まった。
(2)そして、翌年、三十一歳のアントニ・ガウディが設計を引き継いだ。
森のような柱。
森の木々のように枝分かれする柱、トウモロコシのような塔。
(1)ガウディは、後半生をこの建物に捧げた。
(2)そして、1926年に路面電車にはねられて死んだ。
(3)さらに、そのとき完成していたのは、ごく一部だった。
焼かれた図面。
スペイン内戦では、図面や模型が焼かれた。
その後も寄付と入場料で工事が続いた。
残ること。
百四十年を超えて、いまも建てられ続けている。
完成しないことが、この建物の物語の一部になった。中世の大聖堂も、多くはそうして建てられた。