概要
1933年、政権を取ったナチスは、宣伝相ゲッベルスのもとで、安いラジオの受信機を作らせた。「国民受信機」である。値段はふつうのラジオの半分ほどで、月賦でも買えた。受信できる局は限られ、遠くの外国の放送は入りにくい作りだった。数年のうちにドイツの家庭のラジオは大きく増え、ヒトラーの演説は国じゅうの居間に流れた。戦争が始まると、外国の放送を聞くことは罪になり、重い刑が科された。新しいメディアを、国が丸ごと宣伝の道具にした例である。
場所
52.52°N 13.40°E · ドイツ
本文
1920年代に始まったラジオの放送は、ドイツでも広まりつつあったが、受信機はまだ高く、持っているのは都市の中流の家庭が中心だった。1933年1月に政権を取ったヒトラーは、3月に宣伝相の職を作り、ヨーゼフ・ゲッベルスを就けた。ゲッベルスは、ラジオを「国民を導く最も重要な道具」と見た。
1933年8月、ベルリンのラジオの展示会で、国民受信機が売り出された。型の名は「VE301」。1月30日の政権の獲得の日にちなむ数字である。値段は76ライヒスマルクで、それまでのラジオの半分ほどだった。多くの会社に同じ設計で作らせ、月賦で買えるようにした。1938年には、さらに安い小型の機種も出る。人々は、それを「ゲッベルスの鼻づら」とあだ名した。
受信機は、近くの強い局だけがよく入る作りで、遠くの外国の放送は聞き取りにくかった。放送局は国に束ねられ、ヒトラーの演説や党の集会の中継が、全国で同時に流された。工場や広場には拡声器が置かれ、演説の時間には人々が集められた。1939年までに、ドイツの家庭の7割ほどがラジオを持つようになった。
戦争が始まると、外国の放送を聞くことは「放送犯罪」として禁じられた。イギリスのBBCのドイツ語放送を聞いて、それを人に話した者は、重い刑に処され、死刑になった人もいる。それでも、多くの人がこっそりBBCを聞き続けた。新しいメディアを国が丸ごと握り、人々の耳を一つの声で満たすという試みは、20世紀の全体主義の国家に共通するものになった。