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Event / できごと

藤原仲麻呂の乱

Fujiwara no Nakamaro rebellion
AD764年(天平宝字8年)
重要度 4

概要

光明皇后の甥で、淳仁天皇を立てて「恵美押勝」を名乗った男が、皇后の死で力を失い、孝謙上皇と道鏡に追い詰められて近江で挙兵し、琵琶湖の岸で捕えられて斬られた。淳仁は淡路に流されて翌年死んだ。上皇が重祚して、道鏡が法王になった。

場所

平城京
34.69°N 135.79°E · 日本・奈良県

本文

藤原仲麻呂。 武智麻呂の次男。 光明皇后。叔母。 749年、紫微中台。皇后宮職。 孝謙天皇。 757年、橘奈良麻呂。「仲麻呂を殺す」。密告。443人。 「拷問で死んだ」。 758年、淳仁。大炊王。仲麻呂の亡き息子の妻の夫。仲麻呂の家に住んでいた。 「恵美押勝」。「藤原恵美朝臣」。 「太師」。太政大臣。 「唐風」。官名を唐風に。 760年、光明皇太后が死んだ。 762年、孝謙上皇。「私が国の大事を。天皇は小事を」。 道鏡。 「上皇が病んだ。道鏡が看病した。癒えた」。 淳仁が「道鏡を」。上皇が「私に言うな」。 764年9月。 仲麻呂。「都督四畿内三関近江丹波播磨等国兵事使」。「兵を集める」。 上皇が「駅鈴と印を」。 奪い合い。 仲麻呂は近江へ。 瀬田橋。焼かれていた。 「越前へ。息子が国司」。愛発関。閉じられていた。 高島。 三尾。 9月18日。「琵琶湖の岸」。 「鬼江」。 石村石楯が斬った。 妻子と。34人。 淳仁。10月。淡路。「淡路廃帝」。翌年、逃げて捕まって、死んだ。 称徳。重祚。 道鏡。太政大臣禅師。法王。 「宇佐八幡」。769年。 「藤原の四家。南家が落ちた」。 「北家の永手が」。 「仲麻呂は、律令の完成者。養老律令を施行し、『藤氏家伝』を書き、東大寺に、庶民に」。 「仲麻呂は、専制者。皇帝を私物に」。 「両方」。 「唐風」。 「安禄山」。755年。「仲麻呂は、安禄山が日本に来ると恐れて、九州に城を」。 「怡土城」。 「日本で、唐の乱に備えた最初」。 「彼は、唐に憧れ、唐を恐れた」。 「唐風の名で、唐風に死んだ」。 「琵琶湖」。 「三尾崎」。 高島市。 「藤原仲麻呂の乱」の碑。

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