ガザーリー
概要
トゥース。ジュワイニーに学び、33歳でニザーミーヤの教授。『哲学者の矛盾』。1095年、危機。「舌が動かなくなった」。教授を捨て、ダマスクス、エルサレム、メッカ。スーフィー。『宗教諸学の再興』40巻。『誤りから救うもの』。「イスラームで最も影響力のある人」。
所属
セルジューク朝関わったできごと(1)
ガザーリー『哲学者の矛盾』AD1095年 · 著者本文
アブー・ハーミド・アル・ガザーリーは、1058年、イラン北東部ホラーサーンのトゥース(今のマシュハドの近く)に生まれた。父は羊毛を紡いで売る貧しい職人だったとされ、「ガザーリー」の名もその職業に由来するという説がある。父は早くに亡くなり、幼いガザーリーと弟アフマドは、父の友人のスーフィー(イスラーム神秘主義者)に託された。遺された金が尽きると、兄弟は学費のいらない学院に入れられた。
ガザーリーは各地で学び、やがてニシャープールで当代随一の神学者ジュワイニーに師事した。法学と神学、論理学を修め、師の死後、セルジューク朝の宰相ニザームルムルクの陣営に招かれる。ニザームルムルクは帝国の各地に学院を建て、スンナ派の学問を国家として支える政策を進めていた。1091年、ガザーリーはその中心であるバグダードの学院の教授に任じられた(ニザーミーヤ学院の創設)。30代前半の若さで、イスラーム世界の学問の頂点に立ったのである。講義には数百人の学生が集まり、カリフやスルタンの宮廷からも意見を求められた。
この時期の仕事の一つが、哲学との対決である。当時のイスラーム世界では、イブン・スィーナーらがギリシアのアリストテレス哲学を受け継いで壮大な体系を築いていた。ガザーリーはまず『哲学者の意図』でその内容を正確にまとめ、次に『哲学者の矛盾』で論駁した。とくに、世界は永遠の昔からある、神は個々の物事を知らない、肉体の復活はない、という三点を、イスラームの信仰と相容れない誤りとした。火が綿を燃やすのは火の本性ではなく、そのたびに神がそうさせているのだ、という因果の議論はよく知られている。のちにアンダルスのイブン・ルシュドが『矛盾の矛盾』で反論するが、イスラーム世界の東方では、ガザーリーの批判以後、哲学は神学の中に吸収されていくことになる。同じ頃、彼はイスマーイール派の教えも批判する書を書いている。

1095年、名声の絶頂にあったガザーリーを危機が襲った。晩年の自伝『誤りから救うもの』によれば、彼は自分が名声と地位のために教えていることに気づき、来世への恐れに苦しんだ。半年ほど迷い続けたあと、ある日、教壇に立っても舌が動かず、一言も話せなくなった。食べ物が喉を通らず、医者たちは、これは心から来るもので薬では治せないと匙を投げたという。
この危機には前史があった。自伝によれば、ガザーリーは若い頃にも、確かな知識とは何かを突き詰めて、二か月ほど深い懐疑に陥ったことがある。目は星を小さく見せるが、理性は星が地より大きいと教える。ならば理性もまた、より高い何かによって覆されるかもしれない。この懐疑から抜け出せたのは論証によってではなく、神が胸に投げ入れた光によってだった、と彼は書く。その後、彼は真理を求める人々を神学者、哲学者、イマームの秘密の教えを説く者、スーフィーの四つに分けて一つずつ調べ、最後に残ったのがスーフィーの道だった。
その年の終わり、ガザーリーはメッカ巡礼を口実にバグダードを去った。財産は家族の暮らしに必要な分を残して手放した。シリアのダマスクスでは大モスクの尖塔に籠もり、エルサレムでは岩のドームで瞑想し、ヘブロンのアブラハムの墓を訪れ、メッカとメディナに巡礼した。のち故郷トゥースに戻り、隠遁して修行を続けた。こうして約10年、彼はスーフィーとしての修行を積んだ。自伝の中で彼は、スーフィーたちの境地は学ぶことではなく、味わうことでしか得られない、と書いている。彼がエルサレムを去ってまもなく、1099年に第1回十字軍のエルサレム占領が起きている。

この隠遁の中で書かれたのが『宗教諸学の再興』である。40の書から成り、礼拝や断食の作法、食事や結婚、商売の倫理から、怒りや嫉妬、見栄といった心の病、そして悔悟、忍耐、神への愛に至るまでを論じる。イスラーム法の外面的な規則と、スーフィーが求める内面の信仰を一つにつなぎ、法学者たちから疑いの目で見られていたスーフィズムを、正統の信仰の中に位置づけた。後に「この本以外のイスラームの書がすべて失われても、これがあれば足りる」とまで言われた。
1106年、ニザームルムルクの子で宰相となったファフルルムルクの求めに応じ、ガザーリーはニシャープールの学院で再び教壇に立った。だが数年で辞し、トゥースに戻って小さな修道場を開き、弟子たちと暮らした。1111年12月19日、そこで死んだ。53歳。弟アフマドの伝えるところでは、その朝、彼は身を清めて礼拝をすませ、死者を包む布を持ってこさせると、それに口づけして目に当て、「王の御前に参ることを、謹んでお受けします」と言って足を伸ばし、息を引き取ったという。

ガザーリーは「イスラームの証明」という称号で呼ばれる。神学、法学、神秘主義、哲学批判のすべてにわたる彼の仕事は、スンナ派イスラームの思想の骨格を作った。その著作はヘブライ語やラテン語にも訳され、中世ヨーロッパでは「アルガゼル」の名で知られた。ムハンマドの後に預言者が出るとすればガザーリーだろう、という言葉が後世に伝わるほど、その影響は大きい。