概要
トゥース。ジュワイニーに学び、33歳でニザーミーヤの教授。『哲学者の矛盾』。1095年、危機。「舌が動かなくなった」。教授を捨て、ダマスクス、エルサレム、メッカ。スーフィー。『宗教諸学の再興』40巻。『誤りから救うもの』。「イスラームで最も影響力のある人」。
所属
セルジューク朝関わったできごと(1)
ガザーリー『哲学者の矛盾』AD1095年 · 著者本文
アブー・ハーミド・ムハンマド・イブン・ムハンマド・アル・ガザーリー。トゥース(マシュハドの近く)。父は羊毛を紡ぐ人(ガッザール)で、早く死んだ。スーフィーの友人に子供二人を託した。ニシャープールでジュワイニー(イマームル・ハラマイン)に学んだ。
1091年、ニザームルムルクの推薦で、バグダードのニザーミーヤの教授。33歳。「シャイフ・アル・イスラーム」。300人の学生。カリフの相談役。『バーティニー派の恥辱』でイスマーイール派を論駁し、『哲学者の意図』でアリストテレス哲学を説明し、『哲学者の矛盾』で論駁した。
1095年7月。「舌が動かなくなった。一言も教えられなくなった。食べ物が喉を通らなくなった。医者は、これは心の病で、体では治せないと言った」。『誤りから救うもの』。自分は名声と地位のために教えていて、信じていなかった。
メッカ巡礼と称して出た。財産を家族に残し、自分は最小限を持って。ダマスクスの大モスクの尖塔に籠もり、床を掃いた。エルサレムの岩のドームで祈った。ヘブロン。メッカ。10年。スーフィーの道。「私は、確実な知は言葉でなく、味わうことで得られると知った」。
『宗教諸学の再興(イフヤー・ウルーム・アッディーン)』40巻。礼拝、日常、悪徳、救い。イスラーム法とスーフィーの神秘を一つの本に。イスラームの主流は、これを受け入れた。「ムハンマドの後に預言者がいるなら、ガザーリーだ」と言われた。
1106年、ニシャープールのニザーミーヤに戻り、5年教え、トゥースに帰って、1111年12月19日、死んだ。「自分で自分の屍衣を用意して、目に当てて、私は王の前に召された、と言って、朝に死んだ」。