ラービア・アル=アダウィーヤ
概要
バスラの神秘家。報酬も罰も求めず、ただ神を愛するという考え方をイスラームの信仰にもたらした。
関わったできごと(1)
ラービアと神への愛AD780年頃 · 説いた本文
714年から717年頃、イラク南部の港町バスラに生まれたとされる。バスラは、イスラームの軍がメソポタミアに進出したときに築かれた町で、8世紀には交易と学問の中心として栄え、文法学者や神学者、そして世俗の富を捨てて禁欲の暮らしを送る信仰者たちが集まっていた。ラービアは、その禁欲の伝統のなかから現れた女性である。
彼女の生涯について確かなことは、ほとんど分からない。言葉や逸話を伝える記録は、早いものでも死後数十年たってからのもので、まとまった伝記は、13世紀にペルシアの詩人アッタールが書いた『聖者列伝』による。死から400年以上たっている。以下の話の多くは、そうした伝承として読む必要がある。
伝承によれば、彼女は貧しい家の四番目の娘として生まれた。「ラービア」という名は、アラビア語で「四番目」を意味する。両親を早くに亡くし、飢饉のときに姉たちと離ればなれになって、さらわれ、奴隷として売られた。昼は働かされ、夜は眠らずに祈り続けた。ある夜、主人は彼女の頭上に、鎖でつり下げられていないランプのような光が浮かんでいるのを見て恐れ、翌朝、彼女を解放した、という。自由になった彼女は砂漠に退いてしばらく祈りの日々を送り、やがてバスラに戻って、粗末な家で暮らした。
彼女が説いたことは、それまでの禁欲の信仰者たちと違っていた。当時の禁欲者たちは、地獄の罰を恐れて泣き、天国の報いを望んで身を慎んだ。ラービアはそれを、取引のような信仰だと考えた。地獄を恐れて神に仕えるのでも、天国を望んで仕えるのでもない。ただ神を愛するために仕える。彼女の祈りとして伝わる言葉がある。神よ、もし私が地獄を恐れてあなたを拝むのなら、私を地獄で焼いてください。もし天国を望んで拝むのなら、私を天国から締め出してください。けれど、もしあなたご自身のためにあなたを拝むのなら、あなたの永遠の美しさを、私から隠さないでください。
松明と水桶を持ってバスラの通りを歩いていた、という逸話もよく知られる。何をするのかと問われて、彼女は答えた。この火で天国を焼き、この水で地獄の火を消すのだ。そうすれば、人は報いと罰のためではなく、神そのもののために神へ向かうだろう、と。この話は、13世紀に十字軍に加わったフランスの騎士ジョワンヴィルの年代記にも、近東で出会った女性の話として、よく似た形で書き留められている。それほど広く語られた話だった。
結婚の申し込みを、すべて断ったと伝えられる。高名な神学者ハサン・アル=バスリーが求婚し、彼女が謎かけのような問いで退けた、という話もあるが、ハサンは彼女がまだ少女のうちに死んでいるので、これは後に作られた話と考えられている。心は神への愛で満ちていて、ほかの誰かを入れる場所が無い、というのが彼女の答えだったとされる。贈り物も援助も受け取らず、壊れた水差しと、むしろと、枕代わりの煉瓦だけで暮らしたという。
801年頃(一説に796年頃)、バスラで死んだとされる。80代の半ばを過ぎていた。
イスラームの神秘主義、スーフィズムは、その後の数百年で大きく育っていく。そのなかで、神への「愛」は中心の言葉になった。ラービアは、その言葉を最初にはっきりと語った人物の一人とされる(ラービアと神への愛)。のちの神学者ガザーリーは神への愛を論じるなかで彼女の言葉を引き、13世紀のルーミーの詩が歌う、神を恋人として焦がれる心も、その流れの上にある。
ハールーン・アッラシードの治世の時代、アッバース朝の都では学問と富が花開いていた。その同じ時代に、南の港町の貧しい家で、何も持たずに神だけを愛すると言った女性がいた。男性の学者や聖者が並ぶイスラームの聖者伝のなかで、彼女はいまも、最初に名を挙げられる女性の聖者である。