できごと

教皇フランシスコの選出

2013 conclave
AD2013年3月13日
重要度 3
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概要

600年ぶりに生前退位した教皇のあとに、アメリカ大陸から最初の、イエズス会から最初の教皇が選ばれた。宮殿に住まず、フランシスコの名を選び、「貧しい人のための貧しい教会」と言った。

場所

ローマ
41.89°N 12.49°E · イタリア・ラツィオ州

本文

2013年2月11日、ヴァチカンで開かれた枢機卿たちの集まりの席で、教皇ベネディクト16世はラテン語で短い文を読み上げた。老いて体力も気力も衰え、務めを果たし続けられないので、教皇の座を退く、という内容だった。ラテン語が分からなかった枢機卿も多く、何が告げられたのか、すぐには理解されなかったという。教皇は終身の務めとされ、自ら退いた例は、教会大分裂を終わらせるためにコンスタンツ公会議の時代にグレゴリウス12世が退いた1415年以来、600年ぶりだった。2月28日、ベネディクト16世はヘリコプターでローマ郊外の離宮へ去った。

3月12日、システィーナ礼拝堂の扉が閉ざされ、80歳未満の115人の枢機卿による選挙、コンクラーヴェが始まった。翌13日の夜、5回目の投票のあと、礼拝堂の煙突から白い煙が上がった。雨の中のサン・ピエトロ広場に、新しい教皇が決まったことを告げる声が響いた。選ばれたのは、アルゼンチンのブエノスアイレスの大司教、76歳のホルヘ・マリオ・ベルゴリオだった。

ベルゴリオは1936年、ブエノスアイレスで、イタリアから移り住み、鉄道会社で会計の仕事をしていた父のもとに生まれた。化学の技術者の資格を取ったのち、20代でイエズス会(イエズス会の創立)に入った。1970年代にはアルゼンチンのイエズス会の管区長を務め、のちにブエノスアイレスの大司教、枢機卿になった。大司教になっても公邸に住まず、小さな部屋で自炊し、地下鉄やバスで貧しい地区を回った。

アメリカ大陸から、そして南半球から選ばれた最初の教皇であり、イエズス会から出た最初の教皇だった。ヨーロッパの外の出身の教皇は、8世紀のシリア出身の教皇以来、1300年ぶりとされる。彼は、教皇の名として誰も使ったことのない「フランシスコ」を選んだ。貧しさと平和と、神の造った世界への愛を説いた中世の聖人、アッシジのフランチェスコにちなむ名である。投票で当選が決まったとき、隣にいたブラジルの枢機卿が彼を抱きしめ、貧しい人々のことを忘れないで、とささやいたので、その名が浮かんだ、と本人が語っている。

バルコニーに現れた新しい教皇は、こんばんは、と飾らないイタリア語で語りかけ、枢機卿たちは世界の果てまで新しいローマの司教を探しに行ったようだ、と冗談を言った。そして、自分が群衆を祝福する前に、皆が自分のために祈ってほしいと頼み、頭を深く下げた。広場は静まり返った。

フランシスコは、教皇の宮殿の広い住まいに入らず、ヴァチカンの中の宿泊施設の一室で暮らすことを選んだ。選ばれた翌日には、選挙の前に泊まっていた宿へ出向いて自分で支払いを済ませた。教皇の伝統の赤い靴ではなく、履き慣れた黒い靴を履き続けた。彼は、貧しい人々のための、貧しい教会を望む、と語り、司祭たちには、羊の匂いのする羊飼いであれ、と求めた。

最初のローマの外への訪問先には、地中海に浮かぶイタリアの小島ランペドゥーサを選んだ。アフリカから小舟で渡ろうとして多くの人が命を落としていた島で、彼は他人の苦しみに無関心になることの世界的な広がりを嘆いた。2015年には、気候の変動と環境の破壊を「私たちの共通の家」の危機として論じた回勅『ラウダート・シ』を出し、その年の暮れのパリ協定にも影響を与えたとされる。2019年には長崎と広島を訪れ、核兵器を持つこと自体が倫理に反すると述べた。

同性愛の司祭について問われると、その人が神を求めているなら、私が裁く者だろうか、と答え、世界を驚かせた。離婚して再婚した信者が聖体を受けることにも、場合によって道を開いた。こうした姿勢は、教会の外では歓迎されたが、内側の保守的な人々からは、教えを揺るがすものだと強く批判された。一方で、女性を司祭にすることや、中絶についての教えは変えなかった。

聖職者による子どもへの性的虐待の問題は、在位を通じて彼を苦しめた。2018年、チリの司教をかばった発言を厳しく批判されると、自分が重大な誤りを犯したと認め、被害者に謝罪した。アメリカの元枢機卿マキャリックからは聖職を剥奪した。アルゼンチンの軍事政権の時代、管区長として部下の司祭たちを十分に守らなかったのではないかという疑いも、問われ続けた。2016年にはコルカタの修道女テレサを聖人とし(死にゆく人の家)、2022年にはカナダを訪れて、先住民の寄宿学校への教会の関わりについて許しを請うた(先住民寄宿学校)。

退位したベネディクト16世は、ヴァチカンの中で暮らし続け、二人の教皇が同じ庭に住むという前例のない時代が続いた。ベネディクトが2022年の大晦日に亡くなると、フランシスコがその葬儀を執り行った。

2025年の初め、フランシスコは重い肺炎で5週間あまり入院した。退院したあとの4月20日、復活祭の日にサン・ピエトロ広場に姿を見せ、車で群衆のあいだを回った。その翌朝、4月21日、88歳で亡くなった。遺言に従って、歴代の教皇の多くが眠るサン・ピエトロ大聖堂ではなく、ローマ市内のサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂に葬られた。墓石にはラテン語で、フランシスクスとだけ刻まれた。翌月、アメリカ出身の初めての教皇としてレオ14世が選ばれた。

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