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Event / できごと

九龍城砦の取り壊し

Kowloon Walled City
1993年3月 – 1994年4月
期間を持つできごと重要度 3
ソビエト連邦中国インドモンゴルインドネシアチベットパキスタンアフガニスタンビルマ大英帝国タイ日本パプアニューギニアベトナムマレーシアラオスフィリピンカンボジア朝鮮民主主義人民共和国ネパール大韓民国スリランカ1993年3月九龍城砦
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っている1993年3月の版図を描いています(22勢力)。

概要

香港の九龍城砦は、もとは清朝の小さな砦だった。1898年にイギリスが九龍の北の土地を借りたとき、この砦だけは清の管轄として除かれ、どちらの政府の手も及ばない場所になった。第二次世界大戦のあと、中国本土から逃れた人々がここに住みつき、無秩序に建て増しを重ねた。わずか2.6ヘクタールの土地に、十数階の建物がすき間なくつながり、三万人を超える人が住んで、世界で最も人口の密度が高い場所といわれた。無許可の医者や工場、闇の商売もあった。イギリスと中国の合意で住民は立ち退かされ、1993年から1994年にかけて取り壊されて、跡は公園になった。

場所

九龍城砦
22.33°N 114.19°E · 中国・香港(いまは九龍寨城公園)

本文

九龍城砦は、19世紀のはじめ、清朝が海賊とアヘンの密輸に備えて、九龍半島に築いた小さな砦だった。1842年のアヘン戦争の講和で香港島がイギリスに譲られると、清は対岸の九龍の守りを固めるため、1847年に砦を石の城壁で囲んだ。

1898年、イギリスは清から、九龍の北の広い土地を99年の約束で借りた。そのとき、九龍城砦だけは、清の役人がとどまり続けることが認められ、租借地から除かれた。翌年、イギリスは清の役人を追い出したが、清も、のちの中華民国も中華人民共和国も、城砦への主権を主張し続けた。どちらの政府もはっきりと手を出さない、法の空白の土地が生まれた。

第二次世界大戦の間、日本軍は、空港の拡張のために城壁を取り壊した。戦後、中国本土の内戦から逃れてきた人々が、城壁の跡に住みつき始めた。香港の政府が手を出せないことを知った人々は、許可も設計も無しに、建物を建て、その上にさらに建て増しを重ねた。1980年代には、わずか2.6ヘクタールの土地に、十数階建ての建物が三百棟あまり、すき間なくくっつき合って一つの塊のようになり、三万人を超える人々が暮らしていた。世界で最も人口の密度が高い場所といわれた。

建物の間の路地には日が差さず、昼でも電灯がともり、天井には水道の管と電線が絡み合っていた。近くの啓徳空港に降りる飛行機が、屋上すれすれを飛んだ。城砦の中には、香港の免許を持たない医者や歯医者が開業し、肉団子や菓子を作る小さな工場が並んだ。三合会と呼ばれる犯罪の組織が、賭博や麻薬、売春を取り仕切っていた時期もある。一方で、住民どうしの助け合いの組織が、水や電気を分け合い、暮らしを支えていた。

1984年、イギリスと中国は、1997年に香港を中国に返すことで合意した(香港返還)。1987年、両国は九龍城砦を取り壊すことで合意し、香港の政府は住民に補償金を払って立ち退きを進めた。1993年3月から1994年4月にかけて、城砦は取り壊された。跡地は1995年、古い衙門の建物や城壁の礎石を残した、中国式の庭園の公園になった。城砦の混沌とした姿は、写真集や映画、ゲームを通じて、いまも世界の人々の想像力をかき立てている。

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