概要
香港の九龍城砦は、もとは清朝の小さな砦だった。1898年にイギリスが九龍の北の土地を借りたとき、この砦だけは清の管轄として除かれ、どちらの政府の手も及ばない場所になった。第二次世界大戦のあと、中国本土から逃れた人々がここに住みつき、無秩序に建て増しを重ねた。わずか2.6ヘクタールの土地に、十数階の建物がすき間なくつながり、三万人を超える人が住んで、世界で最も人口の密度が高い場所といわれた。無許可の医者や工場、闇の商売もあった。イギリスと中国の合意で住民は立ち退かされ、1993年から1994年にかけて取り壊されて、跡は公園になった。
場所
22.33°N 114.19°E · 中国・香港(いまは九龍寨城公園)
本文
九龍城砦は、19世紀のはじめ、清朝が海賊とアヘンの密輸に備えて、九龍半島に築いた小さな砦だった。1842年のアヘン戦争の講和で香港島がイギリスに譲られると、清は対岸の九龍の守りを固めるため、1847年に砦を石の城壁で囲んだ。
1898年、イギリスは清から、九龍の北の広い土地を99年の約束で借りた。そのとき、九龍城砦だけは、清の役人がとどまり続けることが認められ、租借地から除かれた。翌年、イギリスは清の役人を追い出したが、清も、のちの中華民国も中華人民共和国も、城砦への主権を主張し続けた。どちらの政府もはっきりと手を出さない、法の空白の土地が生まれた。
第二次世界大戦の間、日本軍は、空港の拡張のために城壁を取り壊した。戦後、中国本土の内戦から逃れてきた人々が、城壁の跡に住みつき始めた。香港の政府が手を出せないことを知った人々は、許可も設計も無しに、建物を建て、その上にさらに建て増しを重ねた。1980年代には、わずか2.6ヘクタールの土地に、十数階建ての建物が三百棟あまり、すき間なくくっつき合って一つの塊のようになり、三万人を超える人々が暮らしていた。世界で最も人口の密度が高い場所といわれた。
建物の間の路地には日が差さず、昼でも電灯がともり、天井には水道の管と電線が絡み合っていた。近くの啓徳空港に降りる飛行機が、屋上すれすれを飛んだ。城砦の中には、香港の免許を持たない医者や歯医者が開業し、肉団子や菓子を作る小さな工場が並んだ。三合会と呼ばれる犯罪の組織が、賭博や麻薬、売春を取り仕切っていた時期もある。一方で、住民どうしの助け合いの組織が、水や電気を分け合い、暮らしを支えていた。
1984年、イギリスと中国は、1997年に香港を中国に返すことで合意した(香港返還)。1987年、両国は九龍城砦を取り壊すことで合意し、香港の政府は住民に補償金を払って立ち退きを進めた。1993年3月から1994年4月にかけて、城砦は取り壊された。跡地は1995年、古い衙門の建物や城壁の礎石を残した、中国式の庭園の公園になった。城砦の混沌とした姿は、写真集や映画、ゲームを通じて、いまも世界の人々の想像力をかき立てている。