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Event / できごと

京都議定書

Kyoto Protocol
AD1997年12月11日
重要度 5

概要

温室効果ガスの削減を、先進国に法的義務として課した最初の条約。2008〜12年に、1990年比で全体5%(EU8%、アメリカ7%、日本6%)。排出量取引とクリーン開発メカニズム。アメリカは署名して批准せず、カナダは2011年に離脱し、中国とインドには義務がなかった。2015年、パリ協定が、全ての国が自分で目標を出す方式に切り替えた。

場所

京都国際会館
35.06°N 135.79°E · 京都府

本文

1988年、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)。1992年、リオの地球サミットで気候変動枠組条約(目標は「気候系に危険な人為的影響を及ぼさない水準で温室効果ガスの濃度を安定化させる」。具体的な数字はなし)。

1997年12月1〜11日、京都。国立京都国際会館。COP3(第3回締約国会議)。議長は大木浩環境庁長官。161か国。

争点。誰が、どれだけ、いつまでに減らすか。EUは「先進国が一律15%減」を主張。アメリカは「1990年の水準に戻すだけ」と、途上国の参加を条件にした。日本は間を取った。中国とインドを含むG77は「産業革命以来、大気に二酸化炭素を溜めたのは先進国だ。歴史的責任がある」と主張した。「共通だが差異のある責任」。

会期を1日延長して、12月11日午前、採択。副議長のエストラーダ(アルゼンチン)が、反対の挙手が上がる前に木槌を打った、と言われる。

内容。付属書I国(先進国と旧社会主義国、38か国)が、2008〜2012年の平均排出量を、1990年比で、全体として5.2%削減する。EU8%、アメリカ7%、日本6%、ロシア0%、オーストラリア+8%(増やしてよい)。対象は6種類のガス(CO₂、メタン、一酸化二窒素、HFC、PFC、SF₆)。

柔軟性措置。排出量取引(余った枠を売買できる)。共同実施(先進国間)。クリーン開発メカニズム(先進国が途上国で削減事業をして、その分を自分の削減に数える)。森林吸収源。

アメリカ。ゴア副大統領が京都に来て、交渉を動かした。しかし上院は、その半年前、95対0で「途上国に義務がなく、アメリカ経済に害を与える条約は批准しない」という決議(バード・ヘーゲル決議)を通していた。クリントンは署名したが、上院に送らなかった。2001年3月、ブッシュ政権が正式に離脱を表明した。

発効。「55か国以上が批准し、かつ付属書I国の1990年の排出量の55%以上を占めること」。アメリカ(36%)が抜けたので、ロシア(17%)が要になった。2004年11月、ロシアが批准(EUがWTO加盟を支持することと引き換えだった、と言われる)。2005年2月16日、発効。

結果。第1約束期間(2008〜12年)、付属書I国は全体で目標を超えて減らした(約22%減)。ただし、その大半は旧ソ連・東欧の経済崩壊による自然減で、日本とEUの努力と、途上国への移転(生産の移動)と、リーマン・ショックが混ざっている。世界全体の排出は、この間に増え続けた(中国が2007年にアメリカを抜いて世界最大の排出国になった)。カナダは2011年、目標を達成できないことが確定して、離脱した。

第2約束期間(2013〜20年)のドーハ改正には、日本もロシアもニュージーランドも参加しなかった。

2015年12月、パリ協定。方式が変わった。上から割り当てるのでなく、各国が自分で目標(NDC)を出し、5年ごとに引き上げる。全ての国が参加する。法的義務は目標の提出と報告で、達成そのものではない。「2℃より十分低く、1.5℃を目指す」。

京都議定書は、温室効果ガスの削減を、国際法の義務にした最初の条約だった。それが、うまくいかなかった理由(最大の排出国が抜けた、途上国に義務がない、罰則が弱い)が、次の設計を決めた。

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