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Person / 人

デキウス

Decius
AD201年頃 – AD251年(享年50・推定)
ローマ帝国重要度 2

概要

ドナウの軍から皇帝になり、帝国中の住民に神々への犠牲を命じ、証明書を持たせた。キリスト教徒の全帝国での迫害はこれが最初。ゴートとの戦いで、皇帝として最初に戦死した。

所属

ローマ帝国

関わったできごと(1)

デキウスの迫害AD250年 · 皇帝

本文

ガイウス・メッシウス・クィントゥス・デキウス。 パンノニアのブダリア、いまのセルビア。 元老院議員で、ローマの都長官。 249年、皇帝フィリップス・アラブスが、 ドナウの軍の反乱を鎮めるためにデキウスを送った。 軍はデキウスを皇帝に立てた。 デキウスは断ったと言い、 フィリップスはウェローナで戦って死んだ。

「トラヤヌス・デキウス」と名乗った。 トラヤヌスの時代に戻す。 古い神々、古い規律。 250年1月の勅令。 すべての住民に犠牲を命じた。 帝国の統一を、神々の下で確かめる。

キリスト教徒は「皇帝の敵」ではなかった。 帝国の宗教に加わらない者だった。 デキウスは「皇帝のライバルが出るより、司教が出るほうが困る」と言った、 とキプリアヌスは伝える。 教皇ファビアヌスが1月20日に死んだ。 教皇の座が14か月空いた。

ゴート。 クニヴァ王がドナウを渡り、 フィリッポポリスを囲んだ。 デキウスが向かい、 ベロエで負け、 フィリッポポリスは落ちて10万人が殺された。 251年6月、アブリットゥス。 沼地。 息子ヘレンニウスが先に死んだ。 デキウスは「兵を一人失っただけだ」と言った、と伝える。 自分も死んだ。 遺体は見つからなかった。

皇帝が蛮族との戦いで死んだ最初。 次のトレボニアヌス・ガッルスはゴートに金を払って帰らせた。 元老院はデキウスを神格化した。 ラクタンティウスは『迫害者の死について』で、 「神の敵にふさわしい死」と書いた。 「獣に食われ、鳥に食われ、裸で横たわった」。