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Event / できごと

ミル『自由論』

On Liberty
AD1859年
重要度 4
大英帝国ロシア帝国デンマークオスマン帝国ポルトガル帝国スウェーデン=ノルウェースペイン帝国オーストリア帝国エジプトスペインフランスモロッコAlgiersグレートブリテン及びアイルランド連合王国プロイセン両シチリア王国バイエルンTunisサルデーニャ王国TripolitaniaハノーファーCyrenaicaAD1859年ロンドン
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概要

人が他人に力を振るってよいのは、その人が他人に害を与えるのを防ぐときだけである。1859年、ジョン・スチュアート・ミルは『自由論』でこう論じた。本人のためを思って、という理由で個人の生き方に口を出してはならない。恐れていたのは王の専制よりも、多数派の意見が少数派を黙らせる、社会の専制だった。前の年に亡くなった妻ハリエット・テイラーとの共同の仕事だとミル自身が書いている。いまも自由をめぐる議論の出発点になる本である。

場所

ロンドン
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド

本文

害を防ぐときだけ。

1859年、ジョン・スチュアート・ミルは論じた。

人が他人に力を振るってよいのは、その人が他人に害を与えるのを防ぐときだけである。

社会の専制。

本人のためを思って、という理由で、個人の生き方に口を出してはならない。

(1)恐れていたのは、王の専制よりも。

(2)そして、多数派の意見が少数派を黙らせる、社会の専制だった。

二人の仕事。

前の年に亡くなった妻ハリエット・テイラー。

彼女との共同の仕事だと、ミル自身が書いている。のちにミルは、女性の参政権を議会で初めて求めた議員の一人になる。

残ること。

いまも、自由をめぐる議論の出発点になる本である。

言論の自由を守る理由を、「間違いを直すために、反対意見が要る」と説いた。

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