概要
円形の監獄。中央の塔から全部の独房が見え、囚人からは塔の中が見えない。見られているかもしれない、という意識が囚人を規律する。ベンサムは20年、政府に建てさせようとして、金を失った。建たなかった。フーコーが1975年に「近代の権力の図式」として掘り出した。「最大多数の最大幸福」の人が考えた、最も効率のよい監視。
場所
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド
関わった人(1)
ジェレミー・ベンサムAD1748年2月15日–AD1832年6月6日 · 設計した本文
1786年、ベンサムはロシアにいた。弟サミュエルが、ポチョムキン公の領地クリチェフで、工場を経営していた。イギリスから連れて来た職人と、ロシアの農民。サミュエルは、円形の建物の中央に監督の部屋を置いて、全部の作業場を一度に見る、という案を考えた。ジェレミーはそれを監獄に使うことを考えた。
1787年、手紙の形で書いた(『パノプティコン、または監視の家』。1791年出版)。「イン・スペクション・ハウス」。「パン(全)オプティコン(見る)」。
建物。円形(または多角形)。周りに独房が何層も。各独房は、外側に窓(光が入る)、内側に格子(中央から見える)。中央に監督の塔。塔には鎧戸と、光を遮る仕組み。独房の囚人は逆光で塔から見え、囚人は塔の中が見えない。監督が本当にいるかどうか、分からない。「いつでも見られているかもしれない」。囚人は自分で自分を監視する。監督は一人でよい(一人の監督が、何百人を見ているように見せられる。「見かけの遍在」)。
「新しい方法で、精神が精神に力を持つ。これまでにない量で」。「道徳が改革され、健康が守られ、産業が活気づき、教育が広まり、公的な負担が軽くなり、経済が岩の上に置かれ、救貧法のゴルディアスの結び目が切られる。全部、建築の単純な考えで」。
監獄だけでなく。工場、学校、病院、精神病院、救貧院。ベンサムは同じ図式を提案した。「パノプティコン救貧院」(1797年)。25万人の貧民を250の施設に。
ベンサムは、パノプティコン監獄を、自分が請負人として、政府から囚人を預かり、囚人の労働で収益を上げて、経営するつもりだった。1794年、議会が法律を通した。ミルバンク(テムズの岸)の土地。地主のグロヴナー卿とスペンサー伯が反対した(自分の屋敷の近くに監獄を)。20年、ベンサムは書き、請願し、金を使った。1813年、政府が2万3000ポンドの補償を払って、終わりにした。ベンサムは「私は自分の人生の最良の年月を、これに費やした」。
ミルバンクには1816年、別の設計の監獄が建った(放射状の6つの翼。パノプティコンでない)。パノプティコン型の監獄は、19世紀に、アメリカ(イリノイのステートヴィル、1919年)、オランダ(ブレダ、アルンヘム、ハールレム)、キューバ(プレシディオ・モデロ、1926年。カストロが入っていた)に建った。
1975年、フーコー『監獄の誕生(監視と処罰)』。第3部「規律」の中の「パノプティシズム」。近代の権力は、殺す権力から、見て、記録して、分類して、矯正する権力へ。身体刑(ダミアンの八つ裂き、1757年)から、時間割へ。パノプティコンは、その図式。「見えるが、確かめられない」。学校、兵舎、工場、病院。「監獄は工場に、学校は兵舎に似ていて、不思議か」。
ベンサム自身は、パノプティコンを、囚人のためのもの(鎖、暗闇、鞭、伝染病の代わりに、光と労働と清潔)と、公衆のためのもの(誰でも監督の塔に入って、囚人と看守を見られる。「見る者も見られる」)だと思っていた。フーコーは、その部分をあまり読まなかった。